そしてそれから長い月日がたち、この間、久しぶりに北海道・釧路に旅をしました。タンチョウなど多くの鳥達の休息地であり、日本最大の湿原、釧路湿原を横目に見ながら、知人を訪ねる本当に短い旅でした。
この旅の一番の発見は、リヤカーに天日干しのカレイを積んだ魚売りのおばさんです。彼女と話に花が咲き、時間が経つのを思わず忘れてしまうほどでした。
積んでいる太い金具に眼を刺したカレイは、あさ北海道で取れたばかりのもの。それをリヤカーいっぱいに干しながら売るのです。
この場所(ある信号の端っこ)で長年魚を売っているとか。
「こうして売るのは、釧路の町では私一人になってしまった」
と彼女は誇らしげに胸をはっていました。
近所の人が来て、このカレイが大きいの小さいのという会話をする間にも、魚がどんどん太陽に干されて乾いていく……。思わず昭和のはじめにタイムスリップしたかのように幻想的で、感動を覚えるほどの光景でした。
私もそのカレイを何十枚も買って帰り、従業員ひとりずつに食べてもらったのですが、みんな口を揃えて「おいしい!」と言ってくれました。
なにせ、朝まで泳いでいたものをリヤカーに乗せ、お喋りの場所が乾かすところ、そしてお店なのです。なにも添加物の入っていないその魚は、スーパーなどで買うカレイの干物とは別物のおいしさ、そして別格の安さ。「流通」というシステムの間違いを、気づく場所であったような気が致しました。
そこで取れたものをその場所で食べていく、「地産地消」はまさにロハスの原点。その小さいサイクルに、人の喜び、つまり「食」というスタイルがあるのではないかとも思いました。
リヤカーのおばさんの天日干しカレイは、そんな食の原点を再確認するとともに、自分の祖母に出会ったような優しさと感動を覚えた、忘れられない出会いでした。
釧路の旅も終わり、帰る間際立ち寄った竹老園のそばは、抹茶が入っている真っ青な色もとても美しく、そして美味! さすが、「釧路に行けばこの蕎麦屋」とすすめる店の風格を感じました。
この旅の帰路で、なんと偶然にも私の住む大阪の隣町の豊中から釧路の牧場に嫁いだという人と出会い、お友だちになりました。「もう余命いくばもない、お父さんのお見舞いに帰る」という彼女は極寒の地、釧路の様子を多く語ってくれたのですが、まさに自然の厳しさに驚きの連続……。
音を立てて落ちる雪。家までも自然の力で盛り上がって沈むという現象(部屋に段差は一年中起きるという)。そんなことを計算した上で、深く深く基礎をうって家を建てるのだそうです。
全く理科や科学にうとい私には今だにどんなことか分かっていません。
そして、なによりも心を動かされたのは、ご縁があって嫁いだとはいえ、牛の世話、草の刈り取りという、一年中休みのない仕事を彼女がしっかりとこなしている、ということです。
親にもすぐ会えないような、北海道と大阪という遠い距離。つまり時間やお金で解決出来ない過酷な現実が見えるのです。私も今回の旅では、一度東京に入り、東京から釧路に飛びました。(大阪からの着ゲートから釧路への発ゲートへの長さはあきれるばかり、空港の端から端まで歩いた感じ!!)航空業界が大変な時代に入り、今まで便利過ぎた航空路が、不便になっている一つの表れでしょう。飛行機の路線がどんどんなくなり、飛ばなくなる空港も数多く出てくるといいます。
伊丹空港でお別れの時、握手をした彼女の手は、まるでグローブのようにカチカチでした。最後に言った言葉は
「これから一年中の草を刈らないといけませんから・・・
父の死に目にはもう会えません。今日が最後です。
牛の食べる草を刈らないといけない時期ですから」
遠距離恋愛をし、思いを遂げた彼女の汗と涙を感じる、深く心に残った旅でした。
この竹老園(明治7年創業、127年の歴史)で頂いたおそばは、
私の一人旅にきれいなお抹茶色の思い出をくれました。
多くのそばの食べ歩きをして参りましたが、この美しい色はそんなにあるものでは
ないと思いました。
店主伊藤徳治氏の言葉がかかれていました。
「私の一生は蕎麦造りただそれのみ」と。
この雪がなくなった後も残る地面の盛り上がりが、住む人にとって家をも壊す怖さだといいます。大阪の住人の私には本当に分からない不思議な盛り上がりです。
信号の端っこでのんびりとリヤカー囲んで日々かわされる井戸端会議!!
なんとものどかで・・・懐かしく干されたカレイも満足そうでした。