当時の、雪が積もる間もないほど終日人馬が行き交う日本橋の賑やかな景色が、この一文で目に浮かんできます。このように、最小限の言葉数で世相や風景を伝えられるのが川柳の素晴らしさだと言えるでしょう。
私自身もそんな風流な言葉綴りに魅せられた一人。なにわ文化人川柳の会「相合傘」にも参加させていただき、もう長い年月がたちます。この「相合傘」の喜びは、桂三枝さんを始め、イラストレーターの成瀬國晴さん、上方講談師の旭堂南陵さん、放送作家の新野新さん、古川嘉一郎さん、など、錚々たる先生たちと膝を交え、川柳を作ることによって普段は出会えない先生方の面白さ、人生観を垣間見られることです。
また、このご縁で「なにわ文化人劇」と称し、三枝さんの演出で、なんばグランド花月の舞台に立つこともありました。川柳も芝居も歌も同じで、そこには「文化」という浪漫が流れているのです。
生きてきた人生は皆、違うはず。その中で一つの芝居を作ることによって、その人の全人格が見え、また、その人達と深いつながりが出来る……。劇を通し、とても多くのことを学び、大切な人生の宝物を得ることができました。
私にこんな数々の出会い下さった「相合傘」主催の中田昌秀先生が5月1日にお亡くなりになりました。中田先生はテレビの人気番組「てなもんや三度笠」「ヤングおー!おー!」などの制作に携わった、もの書きの第一人者とも言える偉大な方です。私は幸運にも川柳という括りでつながりを持つことができ、いろいろなことを教えていただきました。
はじめて出会ったのは数十年前。とある会でお芝居「ベルサイユのバラ」をすることになり、そのときの脚本を先生が全部私たち用に書き下ろして下さったのです。サンケイホールという大舞台で、私はオスカルを演じました。今の体重じゃとても入らないような(笑)、宝塚のオスカルの扮装をそのまま真似て…。
今はもうない暫ビルでの度重なる「ベルバラ」の練習や、暫ビルで行なわれた数々のパーティーも思い出深いことです。
中田先生は放送作家、作詞家、川柳作家、芸能評論家、実業家、大手芸能プロダクションの主宰、料亭経営…などなど肩書きも数多く、その文化レベルの高さ、経済の知識、人脈の多さなど、突出したバイタリティーがある方でした。
そして何よりも素晴らしいのは結婚の回数! 結婚は5回か6回、他にも女性の数は数え切れないほどというからオドロキです。
お別れ会の前の家族葬にて、早めにお伺いをした私は、奥様、そしてお嬢様の中田眞城子さんと、お通夜とは思えない話題で盛り上がりました。それは次のような驚くべき先生の伝説!
先生の本妻さんは「その1」。2番目の奥さんが「その2」で3番目の奥さんは「その3」。子どもたちは「その1の1」、「その1の2」……という風に、延々その1その2…と数が続いていくのだそうです。そんな話の最中にも
「あ、今その5が来られました」
という声とともに、向こうから美しい70歳ぐらいの女性が楚々と歩いてこられます。それを「その1」の本妻様が、
「どうも、ようお参り」
と日常での挨拶のような自然さで交わされているのを見てびっくりしました。
さらに先生は、全ての女性に対して、別れたら別れっぱなし、子どもの養育費を払うことも、まったく無かったそうです。お相手は料亭の女将など、全員生活力のある人たちだといいますからたいした女性ばかりだったのでしょう…。
私も晩年「パイロットと別れて俺とはよ結婚しよ」とあいさつ代わりに言われたものでした。(「はよ別れ、はよ別れ」と何度言われたことか…)後で聞いてみると、最後の入院中も看護師さんに「結婚しよう」と言っていたそうです。つまり、あいさつ言葉が「結婚しよう」だったのですね(笑)。
「その1」のお嬢さん、つまり「その1の1」の中田眞城子さんから、晩年、先生の「最後の結婚」を必死で止めたというエピソードを聞きました。先生は70歳後半、新妻になろうとした女性はなんと20歳代。どうしても結婚したい、と泣きついてきたそうで、眞城子さんが
「財産は何も無いよ。あなたは奉仕するだけの人生よ。なにもない父になんでそこまで…」
と聞くと、
「分からない。結婚したいだけ」
とその女性は言い切ったそうです。
いまだに答えが出ない先生の魅力、魔力、ズッコケ。聞く側によって評価は様々と思いますが、とにかく引力の強い方でした。
最後に、私が先生の言葉で感動した言葉で締めくくりたいと思います。
以前「阪急友の会」で「川柳作家 平川好子の会」なるものを計画していただいたことがあったのですが、先生に
「川柳作家と言われるには恥ずかしくてお尻がムズムズ…。お断りしましょうか」
と相談したのです。すると先生はこう答えて下さいました。
「平川君、人生はなんでもええねん。たいそうに考えることやない。なんでもやったらええねん。僕の結婚と一緒や。何回でもやって〜やりなおしたらええ。そこに本気さえあれば」
その先生の言葉が、自分の今の、会長になって始めた新ビジネスにつながったのかもしれません。
イラストレーター・成瀬國春先生がオブザーバーで出席という優しい友情も加わって、毎回麺料理ひら川の料理を召し上がっていただいて、多くの参加者でにぎわったものでした。
先生、本当に、本当にありがとうございました。

家族葬でお供えさせて頂いた
「平川好子」のお花!
仲良しのお嬢さんの配慮で!
心からのお礼とお別れが出来ました。

先生の句が数点!!
お元気な頃に頂いたアドバイスが
今の私の川柳の基礎に!!

なんだか妙におもしろく!ずっこけ!
ざこばさんも一日間違えての・・・
なんとも皆ほのぼの・・・

本当に最後のツーショット!!
池田の我正弁丹吾グループ「ひら川」
「シーホース」が先生との最後の飲み会に
なりました
百人一選 〜冷汗駄句駄句〜 中田昌秀著
●中田昌秀先生の句
「思い切り 悪いを思慮が あるという」
(ものも云い様で丸くおさまる)
●平川好子より先生の句へのコメント
ゆっくり考えても一緒なのにぐずぐず男の多いこと、多いこと。
“自由とは 酒が自由に飲めること”
酒は微酔に飲むべし(中国古典)やかましい!
今日もまた無粋に飲むゾ!
●中田昌秀先生が平川好子を語る
「商売をなめずに苦労なめている」
ナニワ女の商いの道−商賣なめたらあかんで−(講談社刊)
が劇画になった。
彼女の食べもん屋商賣の生き様を書いたものである。
私が感動したのは女なるが故の商賣の苦しみとか家庭の問題
ではなく経営者と従業員のかかわり合いの部分である。
これほど従業員とのふれ合いを大切にしているオーナーも
少なくそれによって店も伸びていることが分かる。
喫茶店に居酒屋、パブ、サロン、又うどん屋と。
それが全部池田に集中している。その辺の理由は知らぬ。
多店舗経営の場合、従業員教育が基本になるが、
彼女の場合は教育というより分身を作ることに賭けていて
それが成功している。性格は底抜けの明るさ。
若い頃は芝居もしたが、今は川柳も楽しむ年齢になった。
男女を越えた良き友達である。
「やせてこそ苦労話は納得す」