Search
Calendar
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< September 2017 >>
New Entries
Recent Comment
Archives
Profile
Links
mobile
qrcode
RSSATOM 無料ブログ作成サービス JUGEM
「正弁丹吾亭」と「正弁丹吾」
0
    昔から法善寺横丁にある老舗「正弁丹吾亭」とここ池田の「正弁丹吾」との関わりを尋ねられることはありましたが、このところそんな問い合わせが多くなってきました。
    二年前に「正弁丹吾亭」の経営が「がんこ寿し」さんに変わったからかもしれません。
    かの有名な「正弁丹吾亭」と、義父の始めた「正弁丹吾」は関係ございません。
    ただその昔私が二十歳のときに一時期、正弁丹吾亭で見習いをさせてもらったことがありました。その経緯を書いた文章がありますので引用します。


    『ナニワ女の商いの道〜商売なめたらあかんで〜』
    2001年10月10日 講談社刊 

    織田作之助の小説でも有名な正弁丹吾亭の存在は、いやでも私の意識にのぼってくる。もちろん義父の「正弁丹吾」は、すぐ横の公衆便所(小便たんご)にちなんでつけられたもので、彼の意識の中に「正弁丹吾亭」があったのではない。文学に無縁の義父は、きっと正弁丹吾亭の存在さえ知らなかったに違いない。けれども、同じ名前の正弁丹吾が、片や無名、片や有名であってみれば、無名の方が有名を意識するのは自然の心理だ。いったいその有名な正弁丹吾亭はどんな店やろ、という切実な好奇心から、私は織田作之助の描いた老舗を見に行ったのだった。
     法善寺横町の水掛け不動尊の横手に「正弁丹吾亭」はあった。道頓堀界隈は派手な料理屋も多く、そんな中で人目につかずひっそりとたたずんでいた。店の構えも大きくないが、大地にしっかり根を張った樹木のように、どことなくしっくりとくる風韻があって、そこが老舗の老舗たる所以かもしれない。濃紺の地に「正弁丹吾亭」の文字が白抜きにされた暖簾を眺めていると、入口の横に貼られた小さな紙が目に止まった。『女中さん求む』と書いてある。私はまたとないチャンスだ、と咄嗟に決断して店の暖簾をくぐった。
    「おこしやす」
    「表の貼り紙を見てきたんですが・・・・・・」
    「あ、そうでっか。おーい。募集のお人や」
     奥にむかってそう声をかけられたのが、ここのご主人だった。物腰や声に落ちついた風格が感じられ、真っ白の割烹服できちんと帳場に座っておられる。そこから、奥の厨房とホールの隅々まで店内をひと目で見渡せる仕組だ。夕方のことでお客さんも少なく、全部で六人ぐらいいた女中さんも、そのときはひとりだけだった。板前さんの高下駄の音が、静かな店の中に快い響きを立てている。
     私が真っ先に目を見張ったのは、塵ひとつ落ちていない店内の清潔さだった。テーブルもカウンターも床も、ピカピカに磨かれている。こんなつややかな光沢が、一朝一夕に出るものではない。毎日の掃除がどれほど行き届いているかは一目瞭然だった。きらびやかな外見の装いではなく、中に入ってみて初めてわかる心地よさ、奥ゆかしさ、暖かさ――これは紛れもない伝統の美しさなのだ。
     おかみさん(ご主人の奥さん)と簡単な面談があって、
    「一週間や二週間では困りますのや。しばらく辛抱できまっか?」
    「はい。よろしゅうお願いいたします」
    「ほな、きばりなはれ。ここにあんさんの連絡先を書いとくれやす」
     私は池田の住所を書いて、女中に雇ってもらった。
     仕事の内容は教えてもらうまでもなかった。他の女中さんたちの手前、ホールではあまり出しゃばらないようにと心がけ、私はもっぱら店内の掃除やお運びにいそしんだ。掃除も半端なものではなかった。おかみさん自らが便器の中に手をつっこんで洗われていた姿に感動すら覚えた。
     ちょうどひと月が過ぎた頃だったと思う。その日も私は接客の仕事に精いっぱい張り切っていた。「おこしやす」と愛想よく迎え入れ、注文をきき、お酒を出し、料理を運ぶ。そして帰られるお客さんを、
    「おおきに! またどうぞ」と大きな声をかけて送り出す。・・・・・・店の中がだんだんこみ出してきたとき、暖簾をくぐって入ってきたお客さんのひとりが、ちょうど帳場の側にいた私に目を止めて、素頓狂な声を上げた。
    「正弁丹吾の姉ちゃんやないか! あんた、こんなとこで何してんねん!」
     その声でみんなの目が私に集まり、私は一瞬言葉もなく立ちすくんだ。正弁丹吾は正弁丹吾でも、池田の正弁丹吾のなじみ客であった。正弁丹吾の姉ちゃんとはどういうことか。知っているのはこのお客さんと私ばかりだ。私は血の気の引く思いでご主人の言葉を待った。いったいこれはどういうことやねん?・・・・・・しかしご主人は、厳しい口調で、
    「何したはります! お客はん、待ったはりまっせ! はよビール持って行きなはれ」
    「す、すんません」
     わずか十秒間の出来ごとだったが、私の中で時間が凍りついた瞬間であった。私の女中奉行も今夜限りだろう。そう覚悟を決めて、私は閉店まですべてを忘れて仕事に没頭した。
     始めからそう言っておけばよかったのだ。けれども、老舗の料理屋のことだ。極秘に守ってきた店のしきたりや味は、決してオープンにしない因襲がある。たかが二十歳すぎの娘とはいえ、他店の娘、しかもこれから自分の店を持とうという者を、無条件に受け入れてもらえるだろうか。女中の身でもその気になれば、板前さんの極秘の技をこの目で見て、少しは伝統の味を盗みとれるかもしれないのだ。もちろん私にそんな思惑は全くなく、東京の修業を今も続けているつもりでいた。第一私が女中に雇ってもらったのも、全く予期せぬ偶然の賜物だったのだから。だがここは「かめ寿し」ではない。「ときわ」でも「みはし」でも「白鳥」でもない。ここは「正弁丹吾亭」なのだ! そして私は、「正弁丹吾」の娘。大事な店の屋号のこの奇妙な偶然の一致を、私は軽く見るべきではなかった。最初の面談のときにちゃんと話しておくべきだったのだ。たとえそれで断られたとしても・・・・・・。
     店が終わると、私はご主人に呼ばれる先に帳場に行った。そして今までのことをすべて話した。
    小さい頃から義父の店を手伝ってきたことや、義父が死んで、その店を母と私が継ぐことになったこと。今はちょうど店の改装中で、一年間東京で修業してきたこと。この店にきたのも、ひと目見てみたかったからで、募集の貼り紙を見て突然その気になって飛び込んでしまったこと・・・・・・。そして、今まで黙っていてほんとにすみませんでした、と頭を下げて謝った。それからひとこと、義父の名誉のためにもこうつけ加えるのを忘れなかった。
    「義父が狎喫枌宛祗瓩般症佞韻燭里蓮店の横に公衆トイレがあって、その狆便たんご瓩らつけたんです。こちらのお店の名前を真似してつけたわけやありません。義父は絶対にそんなことをするような人ではありませんでした」
     黙ってきいておられたご主人の口もとに微かな笑いが浮かんで、穏やかにこう言われた。
    「そうでっか。ようわかった。それにしても、えらい度胸のある子やなぁ。ま、ここにいてる間にしっかり修業しなはれや」
    「え?・・・・・・は、はい。一生けんめい頑張ります! ありがとうございます」
     こうして私は、暇を出されることもなく、ビルが建つまで働かせてもらうことができた。そしてその間、ご主人は私に対してこれまで通り何ひとつ変わることなく接してくださった。おかみさんからは、この日以来、ひとことも口をきいてもらえなかったが。・・・・・・
     最後の日、お世話になった礼を言い、名残り惜しげに店内を見渡して、見納めの最後の一瞥を暖簾にくれていると、ご主人が高下駄をつっかけてやってこられ、
    「あんさんやったらやれます。頑張りなはれ!」
     と最後の言葉をかけられた。そのご主人も今はなく、代も変わってしまったらしい(子供さんがいなかった)。だが伝統の味は、今も当時と全く変わっていない。伝統とひとくちに言っても、これを守り抜くのはすごいことだ。訪れるたびに、当時が蘇ってくる懐かしい器。昔ながらに盛り付けられた昔ながらの味。私はいつ行っても、その妙味を心ゆくまで味わいながら、ふっと帳場あたりにご主人の視線を感じてふり返る。テーブルにも、カウンターにも、店内のそこかしこにご主人の影を感じて、いきなり背後からご主人の声がきこえてきそうだ。あんさんやったらやれまっせ、と。



    引用しながら、懐かしさで目頭があつくなりました。
    池田の「正弁丹吾」は義父から私、私から子供たち(長男・三男)へと、今もバトンはつながっていますが、このことへの感謝を忘れず、奢ることなく地道にやって行ければと思っています。


    2004年に発刊されました「北摂今昔写真帖」に出ています
    昭和35年頃の池田市の公共施設や店舗、病院などが取材されています


    昭和45年私の独立経営のスタートでした
    今はこんな外装に変わっていますが、23才の年齢で
    どうしてこんなことが出来たのか今は不思議なくらいです


    この「ナニワ女の商いの道〜商売なめたらあかんで〜」
    2001年10月10日、講談社刊のP42〜P48にこの法善寺横丁の
    正弁丹吾亭と池田の正弁丹吾のくだりは書かせて頂きました


    今も法善寺横丁に行くとこの正弁丹吾亭の看板が目に入ります
    そして水掛け不動さんにお参りすると我が青春の1ページがうれしく
    蘇ります

    posted by: shobentango | - | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









    この記事のトラックバックURL
    http://yoshiko.shobentango.com/trackback/1005389
    トラックバック