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33年目の奇跡
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    前回、”とんちんかん“のリニューアルオープンのことを書きましたが、ひとつの出来事から種々な人間ドラマが生まれるものだとつくづく感じます。
    なかでも印象的だったのは真理ちゃんからのメールでした。私のフェイスブックがほんの偶然から目に止まったらしく、
    「おばちゃん、フェイスブックで”とんちんかん”のこと見たよ。おばちゃんがフェイスブックしてるなんて夢にも思わなかったけれど。明日友達の結婚式で大阪に行きます。その時必ず会いに行きますね」
    彼女こそ誰あろう、頓珍館、33年前のオープン時の上得意さまだった健太郎くんの娘です。
    「こんな偶然、お父さんの仕業としか思えへん」
    「おばちゃん見つけた時、驚きと感動で手が震えたわ」
    14年ぶりに会った、真理ちゃんはそう言って涙ぐんでいました。
    この友人健太郎くんのことは、以前本にも書いてますから、少し長くなりますが引用してみます。


    健太郎は「筋萎縮症」という難病を煩って、この先の人生を、人の手を借りずに生活することができない。彼は中学校の同級生で、これまで私の店をずっと引き立ててくれた友達だった。昭和45年に「たんご」をオープンしたときは、豊中市役所に勤め出したばかりの彼が、同僚をたくさん連れてきて、閑古鳥の鳴いていた淋しい店をどんちゃん騒ぎでもり立ててくれた。「シーホース」のときもそうで、オープン早々の時期はいつも健太郎と彼の仲間がどやどやおしかけてきて店を賑わせてくれた。そして、お店がどうにか軌道に乗り始めると、もうこれで大丈夫だとでもいうように、いつしか彼の姿が遠のいていく。健太郎はそんな友達だった。
     中学生の頃からやんちゃだった彼は、喧嘩っ早く、大酒を飲んではヤクザと喧嘩して奥さんを心配させた。一度など、したたかに酔った彼が、ふらつく足で店にきたかと思うと、前歯を見事に全部折っていて私たちをびっくりさせた。とりわけ今も語り草になっているのは、健太郎の結婚式だ。新郎のくせに、彼はお酒をあびるように飲んで、ぐでんぐでんに酔っ払ってしまった。そしてとうとう雛壇の彼は、椅子もろとも後ろにバタンとひっくり返って何度仲間がおこしても、また後ろにひっくり返る。披露宴の席で新郎のこんな醜態を見たのは誰もがおそらく始めてだったに違いなく、記念のスナップ写真にも新郎の姿はほとんど写っていなかった。後でふり返って懐かしむすべもなく、新郎の健太郎はなんと新婦に淋しい思いをさせた事だろう。
     やることなすことハチャメチャで、市役所でも「桂春団冶」の異名をとっていたらしいが、反面彼はシャイで、お酒の飲み方もきれいだった。ええとこのぼんぼんなのに、昔飲めなかったサントリーの角瓶が彼の美学で、いつもカウンターに角瓶を置き、なんとも言えない表情で飲んでいた。
     難病でそれもできなくなった彼は、ときおり電話してきて私に言った。
    「店はどないや? みんな元気で頑張っとるか?・・・・・・行きたいのう・・・・・・」
    「何言うてんの? いつでも迎えに行くって、そう言うてるやろ。行くから迎えにこい、くらいのこと言うてや」
     私がそう言うと、彼はいくぶん困ったような口調で言った。
    「小便に困るんや。尿瓶もっていったら、お前とってくれるか? 俺なぁ、他のヤツはいややねん・・・・・・」
    「あんたそんなことで悩んでたん? アホやなぁ・・・・・・」
    私は元気なときの彼のシャイな顔が浮かんで、泣きたいような気持ちになった。
     それから数日後、車椅子の健太郎をお店に迎えて、彼は久しぶりにサロンの夜を楽しんでくれた。ショータイムで歌う多香ちゃんの姿を眩しそうに眺めながら、なつかそそうに水割りを飲んだ。グラスを持つのが精一杯で、側で何かと気を使っている育ちゃんに、
    「お前もええ女になったのう。昔はなぐったろかと思うくらい、生意気なヤツやったのにのう」
     と口は達者だ。カウンターの隅っこでマミちゃんが目を潤ませて彼を見ている。健太郎が健康だった頃、マミちゃんは自転車で倒れた拍子に顔にアザをつけ、外れた顎をガクガクさせながら店に入ってきたことがあった。びっくりした健太郎は、いきなり大声で言った。
    「どこのどいつや? お前にこんなことしたんは! おっちゃんがぶん殴ってやる! 誰や? 言うてみ!」
     マミちゃんが、「違う違う」と身ぶり手ぶりで答えるのを、彼はもどかしそうに、増々いきり立って言った。
    「若い娘に手を上げるヤツなんか、オレは許さへんぞ! どこのどいつにやられたんや? おっちゃんに言え!!」
     マミちゃんの外れた顎が元どおりに戻り、やっと口がきけるようになって、
    「健太郎さん、そんなにびっくりせんといて下さい。こけたり顎が外れたりするのん、しょっちゅうですねん」
     と笑って言うと、健太郎は拍子抜けしたように、
    「顎が外れるて、お前、大丈夫かぁ! いっぺん病院で診てもろた方がええのと違うか?」
     と心配して言ったものだ。そんな健太郎がもはや仕返しに行くどころか、水割りのグラスもろくに持てない体になっている。マミちゃんにとってもそれは悲しすぎることだった。
     しばらくして、私は段差のあるトイレではなく、入口の一枚目と二枚目のドアの間にもうけた特別のトイレに、車椅子の彼を連れて行った。
    「ママ、僕らがするから」
     と一緒に来ていた幼なじみのひとりが言ったとき、健太郎が口を挟んだ。
    「オレはママにとってもらう。同級生の女にとってもろたら、ええ思い出になるやろう!」
     そう言って友達を下がらせ、私たちは狭い特設トイレで二人だけになった。
    「お前、ティッシュもってきたか?」
    「男のあんたに何でそんなもんいるのん?」
    「オレやない。お前の手につくやろが」
    「手なんかあとで洗う。余計なこと心配せんと、はよしいや」
     私は彼の体を支えながら尿瓶をあてがった。
    「悪いのう、お前・・・・・・」
    「何言うてんの!」
    「お前は、ほんまにええおなごやのう・・・・・・」
    「・・・・・・・・・」
     ほんの少量のおしっこが尿瓶に流れ、また止まって、また少し流れる。その悲しさに胸がつまったが、そのとき私は、二人とも生まれたまんまの姿でこの空間につつまれているような気がした。男も女もなく、排泄という自然の営みに不浄さなど微塵も感じられない、何か突き抜けたような空間。私はこんな清らかな空間を与えてくれた健太郎に心の中で手を合わせた。
     トイレから出ると、彼は一変して口が悪くなり、中学の頃の私のことを吹聴しだした。
    「俺がサッカー部で、こいつが陸上部やねん。同じグランドで練習してると、こいつの黒い短パンから白いパンツがチラッと見えるんや。それが刺激的でなぁ。オレが残念なんは、こいつと一回もやれへんかったことや」
     つまりこれが健太郎流の私に対するお礼の言葉だった。
    「ナニワ女の商いの道〜商売なめたらあかんで〜」2001年講談社刊より引用



    33年前にこの「頓珍館」をオープンした時に、心配して店をもりたててくれた彼が、今度のリニューアルオープンでは、自分の代わりに娘を寄こしてくれたのでしょうか。その前にはこんなこともありました。

    今から十六年前に「麺料理ひら川」をオープンした時、わざわざ御祝いを届けてくれました。死が迫っていた健太郎君本人は、病状の悪化で来れませんでした。
    もう食べることも出来ず、点滴の毎日だと聞いた私は、ある日長男(元社長の千人)と健太郎くんを尋ねました。食べれなくても、せめて匂いだけでも。そう思って材料を持参し、台所を借りて長男と二人、心をこめて店自慢の自家製のうどんと本手打ちの蕎麦を作り、病床の彼に差し出しました。すると、どうでしょう。彼がベッドから身体を起こし(もちろん奥さんの手を借りて)食べてくれたのです。呆気に取られている彼の子供たちの見ている前で、さらに一口、そしてもう一口、じっと噛みしめるように。目線が長男に向いた時、
    「うまいのう」
    と無言の言葉を言ってくれているのが私にはわかりました。それから彼をかこんで同じうどんを食べている奥さんと二人の子供たちをなごやかに見回してから、最後に私を見てささやくようにこう言いました。
    「おおきに」
    台所でさんざん涙を流してしまった私のことをちゃんと知っていたのです。

    健太郎君が息をひきとったその日の朝、真理ちゃんのウエディングドレスが彼の家に届きました。最愛の娘の晴れ姿を見ることもなく、あの世に行ってしまった健太郎くん。

    あまりに悲しく、彼の無念さは私の心に今も残ります。

    「それにしても不思議ですねぇ」
    と彼女は、リニューアルしたばかりの”とんちんかん”を見て言いました。
    「あのフェイスブックに目が止まらなかったら、このタイミングに来ることもなかったんですから、これは絶対に父のさしがねに違いない」
    と。
    「そうやねぇ。リニューアルしてほんまにやっていけるのか、心配でしょうがないんやろう。だから自分ではこれんから、娘の真理ちゃんを見にこさせてくれたんやね」
    「でも考えてみたら、これまでのおばちゃんに会ったことってそんなにないよね。でも全然そんな気がしない」
    「わたしたちも同じなんよ。健太郎くんがひょっこり顔を見せてくれるのは、オープンとか何かがあったときだけ。あとは2年3年まるで梨の礫」
    「だから不思議なんよねぇ。私達は本当に池田中学校の同級生というだけなのにね」
    夜も更けて、私はこうして人の縁はその人の死後も形を変えて続いていくんだと、しみじみ感じました。


    さて古い想い出にふけっているうちに、今年も数日を残すばかりになりました。
    私のブログを読んで下さったみなさま、この一年ほんとうにありがとうございました。
    このご縁を大事にしながら、また来年も頑張っていきますのでよろしくお願い致します。
    では皆さま、よいお年をお迎え下さいませ。
    来年も本年同様ご贔屓賜りますようお願い申し上げます



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     年末は30日まで通常営業させて頂きます
     新年は4日より通常営業させて頂きます
     新生「とんちんかん」の定休日は月曜日となります
         池田市役所すぐ東うら
          池田市城南1-2-3 (072-751-0870)
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    毎年恒例のお年玉セールは
    「とんちんかん」リニューアルオープン記念イベント第二弾
    1月4日〜2月28日まで15%オフとさせて頂きます









    これは娘さんからお借りした写真ですが
    どこまでもはちゃめちゃ・・・
    戦後生まれの懐かしい男性像です



    もう歩けなくなった筋萎縮症の健太郎
    同級生の中で他人の私にどこまでも優しかった
    そんな男性はいなかった。私の無二の親友です



    同じ顔をした息子さんと
    どんなに苦労しても
    「お酒を飲まない時の彼は本当に優しくて
    いい人なんですよ」
    と言い切る奥様
    看護婦の一番上のライセンスをもつキャリアでもあります



    お父さん亡き後、この一家に孫の男の子と女の子が増えました
    目を細めて優しく見守る健太郎の顔が浮かびます
    posted by: shobentango | - | 23:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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