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川柳によせて
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    昨年7月23日、池田市の託明寺に川柳作家、森中恵美子先生の句碑が建立されました。
    碑に刻まれたのは次の三句、いずれも傑作川柳です。

    『天に川 ありよろこびは 稀にくる』
    『茶のはなし 女のはなし 雪になる』
    『ため息の なかに多彩な 男棲む』

    森中恵美子氏と言えば、川柳に興味のある人なら知らぬ人のない大家ですが、そうでない人のために、少しだけ経歴をご紹介しておきます。


    森中 惠美子 ( 一九三〇年十二月十五 )

    森中惠美子先生について

    川柳家と云えば時実新子。本名は(大野恵美子)である。
    新子は森中惠美子とは同じ名前だった。歳も差も無い、
    「愛咬やはるかはるかにさくら散る」と詠った新子
    「いのししの右も左も風ばかり」  と詠んだ惠美子
    女性の性を赤裸々に謳い上げた新子に対し、「秘すれば花」世阿弥を知り女性の慎みを守るタイプの二人はまことに対照的である。
    大学の教授で上方芸能編集長の木津川計が
    「子を産まぬ約束で逢う雪しきり」惠美子の此の一句こそ川柳を文学に押し上げた句は知らぬと書いた。好きになれば抱かれたい、情にも溺れたい、でも女の矜持を捨てる訳にもゆかぬ、心の中の悲しみを「雪しきり」と下五で結ぶ。なんと芯の強い女性だろう。
    一句の中に一篇のドラマが描かれている、と語る。
    文化勲章の作家田辺聖子の著書「でんでん大鼓」に惠美子の句の引用のなんと多い事か。ある講演で田辺聖子はたった十七音字で短編小説に匹敵する奥行の深い句を作る作家が森中惠美子だ。男を描いて彼女に敵う人は無い。川柳で飯が食える作家は彼女以外に知らぬ。と述べる。
    六十五年川柳一筋、大変な努力家だ。この度、池田市内の託明寺に惠美子句碑が建立された。
    三句を抱いた句碑は珍しいと言うより日本で唯一の句碑だ。
    「刻まれたことば揃って愛だろう」
    除幕式当日に詠んだ先生の一句に味がある。

                             と両澤行兵衛さんは言う。

    私が森中恵美子先生とのご縁を頂いた経緯は割愛しますが、これまた有難きご縁によって、川柳の会「川柳さつき山 in 頓珍館」を二年前に発足することができました。
    そして何と、私たちの会に森中先生が特別専任講師としてきていただき、貴重な教えを請うているのです。
    会は月に一度、森中先生を中心に会員(約15名)一同、互いにしのぎを削りあうのです。時間の充実していること、楽しいこと。たった17文字の中に深い思想を表現することの難しさ、また表現したときの喜び。その独自性を得るためには、つまり借ものではない句を作るためには、自らの洞察力と感性を磨かなくてはならない。その過程はまさに人生修業そのものに近いかもとも思います。そしてこれは、日本が世界に誇れる文化のひとつだと思います。
    ところで、そもそも私と川柳の繋がりは何だろう。と思うとき、大衆演劇(呉服座の田舎芝居)に興味を持つに至ったのが祖母の影響だったように、これは(川柳)母の影響かもしれません。もっとも、生前の母が川柳を作っていたことなど全く知らなかった私ですから、影響というよりは、私の中に流れている母と同じ血がなせることだと言った方がいいかもしれませんが……。
    母の死後、母の遺品を片付けていたとき、母の古い手帳を見つけました。どのページも小さな文字でびっしり書きつけられた短い句。それは川柳といってもいいと思います。
    その時々の気持ちを文字に書き付けざるをえなかった母の心が手にとるように伝わってきました。ああ、母はこうして心の苦しさや悲しさを慰めていたんだと。



    『ことなかれ ことなかれとぞ祈る 我が娘の戻りし 嫁ぎ家のともしび』



    私が姑と喧嘩して母の実家に帰ったとき、母はひとこと
    「あんたは平川家の嫁や。はよ帰んなはれ」
    と私を無理やり追い返したことがあります。私の弁明を一言も聞こうとせず。その直後の母の一句に違いありません。何と冷たい母だろうと、行き場を失った私が町中を彷徨っていたとき、母もまた目に涙しながら、こんな句を書き付けていたのでした。
    母の愛をこんな形で知らされるのは何と辛いことでしょう。
    今も母の手帳を開いては、句に託された母の人生を偲んでみることがあります。そんなとき、母と共に競作すればきっと楽しかったろうとも思います。
    せめて一句できたとき、根っからの文学少女だった母の目を意識しながら、率直な母の批判を請う事にしています。
    お母さん、この頃の私の作品、あなたの苦境に少し近づいてきていると思いませんか……と。



    託明寺さんの川柳作家森中恵美子先生の句碑は
    これからも川柳を愛する人たちが
    日本全国から訪れることでしょう


    日本一の森中恵美子・・・
    この先生の笑みが永遠に私たちの心に残るでしょう


    厳粛な雰囲気の中で私はしっかり「五月山in頓珍館」
    の代表としてお役を預かりました
    そしてそのおかげでこの上もない感動をいただきました


    このように毎月第一月曜日頓珍館で句会が・・・
    両澤さんから快諾して代表をお引き受けしました句会!
    沢山の感動を頂きました。感謝

                                  

    posted by: shobentango | - | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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