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美味探求〜京都烏丸界隈〜
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    私がこの烏丸界隈に興味を持ち始めたのが15年ぐらい前のこと。
    丁度三男が京都外大時代に祇園花見小路の「やげんぼり」さんにお世話になっていた頃、烏丸の辺りがザワザワしてきた。
    古い町家がカフェに、イタリアンレストランにと街並みが変わっていきました。
    平安京の烏丸小路にあたるこの辺りは、北は北大路バスターミナル(北大路駅)の北側の今宮通まで。南は京都駅で分断されるが、久世橋通まで延びている。

    1877年に京都駅が誕生してから四条烏丸交差点周辺を中心として烏丸通は京都のビジネス街とされ、多くの銀行や企業がひしめいている。

    少し時代を遡ると、「からすま」の語源は「河原の洲(砂州)に接した土地」を意味する「川原洲際」(かわらすま)だと考えられている。これに「烏丸」と当て字するようになったのがいつ頃のことなのかは定かではないものの、平安京造営の際にはその地にすでに賀茂川の一支流とみられる烏丸川という小川が流れていた。その河原に沿って整備された小路が烏丸小路で、今日の烏丸通の前身である。烏丸川の方は応仁の乱後から渇水しがちになり、天正年間までに埋め立てられその姿を消してしまったという。
    この「烏丸」、平安遷都の当初はまだ字面通りに「からすまる」と読まれていたとみられるが、やがて時代が降ると撥音便化が起きてこれが「からすまん」になり、さらに語尾音が脱落して「からすま」に転じた。今日では「烏丸」を含む名称のほとんどが「からすま」と読まれているが、旧堂上公家の烏丸家とその家系に連なる者に限っては今日でもこれを「からすまる」と読んでいるそうです。


    ここのところ烏丸のレストランをリサーチしていましたところ、先日 ESSENというレストランを友人が紹介してくれました。これぞ、京町家というお店でした。和洋折衷のお料理にはどこか京料理の趣も残していて。ほぼ女性客で満席の意味は分かります。
    今は烏丸から御所南地域に少し変わりつつあるとか!
    丁寧なお料理探求の京の旅はもう少し続きそうです。




    烏丸通りから、ちょっと入れば未だ未だ
    こんな路地に出会える


    京 モダンと私は呼んでいます!
    このような店の散策も、この界隈の面白さです


    レストランの窓からは、懐かしき昭和や大正の風情が
    そこかしこに残ります


    店内は女性客で満席!
    ご予約は無しでは余り入れないという
    posted by: shobentango | - | 02:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    鎌倉歴史探訪
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      鎌倉(かまくら)は、現在の神奈川県鎌倉市の中心部に当たる地域。源頼朝を旗頭として、北条時政、北条義時らによって鎌倉幕府が置かれた都市であり、三浦半島の付け根に位置し、相模湾に面しているので古くは鎌府(れんぷ)とも呼ばれたらしい。
      鎌倉時代には日本の政治において最も重要な位置のひとつを占めていて、12世紀末から14世紀半ばの1333年まで幕府が置かれた。 近代に入ってからの鎌倉には鎌倉文士と呼ばれる作家、美術家などの文化人が集まり住み、幾つかのドラマや小説などの舞台にもなってきた。
      今回訪れた鶴岡八幡宮は、康平6年(1063年)源頼義は由比郷鶴岡(鎌倉市材木座)に「鶴岡若宮」として、河内源氏の氏神である河内国石川郡壷井の壷井八幡宮を勧請した。この年は、頼義が陸奥の安倍貞任を討ち、前九年の役が終結した翌年である。頼義は、氏神として信仰する八幡神に戦勝を祈願していた。そして、戦いの後、京都郊外の石清水八幡宮に勝利を感謝し、本拠地の河内国壷井に壷井八幡宮を勧請し、河内源氏の東国進出の拠点である鎌倉に八幡神の分霊を祀った。これが今も鎌倉の中心である鶴岡八幡宮の起源である。

      鶴岡八幡宮は鎌倉の象徴となり、都市計画は八幡宮を中心に行われたらしく、寿永元年(1182年)には八幡宮の表参道が整備された。現在も鎌倉のメインストリートである若宮大路がそれである。当時、水田の中の道だった若宮大路は、石を積んで周囲の地面よりかさ上げする工事が行われたようで、現在「段葛」(だんかずら)と呼ばれている、両脇の車道より一段高くなった歩道はその名残のようです。

      基幹大路の名と現在通称されている道路名に小町大路と小町通がある。小町大路は筋替橋から材木座までの由緒ある大路で、その両側には幕府高官・御家人の屋敷が並び、とくに大町四つ角以南は当時の鎌倉随一の繁華街でもあった。このため、日蓮の所謂「辻説法」も、この大路の彼方此方で行われたものと考えられ、今も大路の2箇所に辻説法跡の記念碑(大町の本興寺門前、及び小町2丁目)が建てられている。今ではこの付近は閑静な住宅街となっている。一方、小町通りは、鎌倉駅前から鶴岡八幡宮までの比較的新しく名付けられた観光土産屋通りであるが、現在では多くの行楽客で賑わう一大観光スポットとなっているようです。


      また、報国寺の孟宗竹の竹林の美しさは特に心に残りました。
      足利、上杉両氏の菩提寺として栄えたお寺らしく、国の重要文化財もあり、鎌倉国宝館に保管されているそうですす。



      この広さ〜開放感は〜鎌倉時代の勢いそのものだと思いました。
      ここから小町通りまでの散策は半日はかかる面白さでした。


      八幡宮のも鳩がマーク!
      随所に〜お守りからおみくじまで、本当に鳩づくしです


      報国寺の孟宗竹は京都以外で久しぶりに、
      素晴らしい竹林を樂しみました


      なにげなく入ったそば屋さん
      しらすと小えびのぶっかけそばを頂きました
      さすが相模湾のしらすの美味しさ、
      小えびのさくさく感は絶品でした
      posted by: shobentango | - | 00:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      京都・嵐山の鵜飼
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        先日、京都保津川下流の桂川の鵜飼に言ってきました。
        この渡月橋辺りは、娘時代からよく遊びにきたところです。
        今回の8月16日の鵜飼はたまたま宿泊していましたホテルの貸し切り船で経験することが出来ました。
        鵜飼い・鵜飼・鵜養(うかい)は、鵜(ウ)を使ってアユなどを獲る、漁法のひとつで、中国、日本などで行われていたようです。
        現在では漁業というより、観光業(ショー)として行われている場合が多く、 またヨーロッパでは16世紀から17世紀の間、スポーツとして行われたという。
        鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』や『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。
        長い間天皇の歌に記載されている鵜飼も、鵜飼漁で獲れる魚には傷がつかず、ウの食道で一瞬にして気絶させるために鮮度を保つことができる。このため、鵜飼鮎は献上品として殊のほか珍重され、安土桃山時代以降は幕府および各地の大名によって鵜飼は保護されていった。鵜匠と漁場の確保は、大名達にとっても面子に関わることであったのである。
        その一方で、鵜飼は漁獲効率のよい漁法ではないため、明治維新後に大名等の後援を失った鵜飼は減少していき、現在は数えるまでにその規模を縮小している。
        現在の鵜飼は、客が屋形船からその様子を見て楽しむというように、漁による直接的な生計の維持というよりは、もっぱら観光事業として行われている。例えば、愛媛県大洲市の肱川で行われている鵜飼は、戦後の昭和32年(1957年)に「大洲観光うかい」として始まったもので、切手の意匠にもなった。


        現在鵜飼いが行われている地方は、
        山梨県笛吹市(笛吹川)
        石和鵜飼
        岐阜県岐阜市(長良川) 宮内庁式部職鵜匠による鵜飼。
        長良川鵜飼
        岐阜県関市(長良川) 宮内庁式部職鵜匠による鵜飼。
        小瀬鵜飼
        愛知県犬山市(木曽川)
        木曽川うかい
        京都府宇治市(宇治川)
        京都府京都市(大堰川)
        和歌山県有田市(有田川)
        広島県三次市(馬洗川)
        〜通常の黒いウミウに混じって白いウを使う。これは近年、姉妹都市の中国四川省雅安市から送られたものである。
        島根県益田市(高津川)
        山口県岩国市(錦川)
        愛媛県大洲市(肱川)
        大分県日田市(三隈川)
        〜安土桃山時代に宮城豊盛が長良川の鵜匠を招き、日田地方に鵜飼を定着させたと伝えられている。

        万葉集に記載されている「売比河の早き瀬ごとに篝(かがり)さし八十伴の男(やそとものお)鵜飼立ちけり」と詠んだことから、史実に基づき再現されたものらしい。
        今回の嬉しい想い出でもあります、「鵜飼い」!
        なんとも幻想的な雅なイベントがこれからも続けばいいなと思いました。



        昭和初期の鵜飼舟の図ですが、わかりやすく面白いと思います


        京都嵐山の鵜飼ですが、舟は近くの有名料理店が
        この日は予約と。
        急な飛び入り参加は出来ないそうです


        私達が一般的によく耳にするのは長良川の鵜飼!
        プロの写真はきれいに撮れているものだと思います


        今年8月16日に私も経験致しましたこの鵜飼!
        宿泊していた「ホテル翠嵐」の貸し切りの舟に
        乗れたラッキーな経験でした
        posted by: shobentango | - | 02:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        京都・五山の送り火
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          今日(8月15日)は72回目の終戦記念日です。
          戦後、進駐軍が池田の街にもたくさんいました、また所為軍人の方が松葉杖をついて街角で立っていたり、アコーディオンを引いていた姿が、昭和21年生まれの私には昨日の事のように目に浮かびます。
          毎年私はこの日に今の幸せに感謝しつつ、私自身の一年間の仕事の方向を決めるときとしています!
          それが戦後生まれの私の年に一回の仕事でもあります。


          明日は縁あって京の「五山の送り火」に参加致します。
          毎年8月16日に京都府京都市左京区にある如意ヶ嶽(大文字山)などで行われるかがり火。宗教・歴史的な背景から「大文字の送り火」と呼ばれているそうです。
          京の夏の夜空を焦がす京都の名物行事・伝統行事。葵祭・祇園祭・時代祭とともに京都四大行事の一つとされているそうです。
          ●「大文字」京都市左京区浄土寺・大文字山(如意ヶ嶽)
          ●「松ヶ崎妙法」京都市左京区松ヶ崎・西山及び東山
          ●「舟形万灯籠」京都市北区西賀茂・船山
          ●「左大文字」京都市北区大北山・左大文字山
          ●「鳥居形松明」京都市右京区嵯峨鳥居本・曼陀羅山
          この五山で炎があがり、お精霊(しょらい)さんと呼ばれる死者の霊をあの世へ送り届けるとされています。
          山に画かれた字跡に点火する行為の起源については、平安時代とも江戸時代とも言われているが、公式な記録が存在するわけではないらしい。場所と行為を具体的に特定した史料が登場するのは近世に入ってからで、『雍州府志』によると、盂蘭盆会や施餓鬼の行事として行われていたとあり、『花洛細見図』にも「盂蘭盆会の魂祭」として紹介されていることから、江戸時代前期から中期までにはそれに類する性格を持っており、大文字、妙法、舟形、加えて所々の山、原野で火を点けていたという。
          なお、以前の京都は過度の深林利用のせいでハゲ山が多く、深林は少なく、それが故に送り火と言う文化が産まれたのではないかと言う説もあるらしい。
          「大文字焼き」という呼び方については宗教行事からのいわれで「大文字五山送り火」と呼ばれることが多いそうです。雑誌やテレビでは「大文字焼き」という習慣的な表現を使われることがあるようですが、「大文字山焼き」と称されることもあるらしく「山焼き」は、新芽を出させるために山腹の広い範囲を焼くことであって全く異なるようです。

          ただし、戦時中の1943年から1945年まで灯火管制などの理由から送り火は中止されていたようです。
          このように、毎年多くの人たちが京都に集い「葵祭」「祇園祭」「時代祭」「山の送り火」などが催されるのも平和があってこそ。
          昨年私大雨の中「ひら川」の店長の舞子さんと京の街を送り火を見ようと雨宿りしながら走りまわった懐かしい想い出があります。
          たかが「お祭り」ではなく、この催事がこれから何百年も続きますようにと心から祈ります。


          この5つの送り火が京のそらにくっきりとうつしだされます。


          大の字もこのように時間も決められて(20:00)
          〜点火されていきます。


          まだあかるいうちに、嵐山渡月橋をのぞみます。


          今年は保津川の下流〜桂川の辺りから「大文字」を!
          昨年と違い天気にもめぐまれ涼しい川面の先に大の字が!
          posted by: shobentango | - | 00:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          言葉と心
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            「空海は、言葉を疑っていた」
            言葉は、何かを伝える記号であって、その言葉そのものに拘ったり、固定化したりしてはいけない。
            もちろん言葉を、伝達の手段としては重要視している。
            大事なのは心と心、人と人とを繋ぐこと。
            言葉は、その心の運搬手段。
            数多くの書物を読み、沢山の文書を書き、言葉と向き合い続けた空海だからこそ、到達した境地である。
            伝えるべきは、言葉そのものでなく、 言葉の奥にある心なのだというのは、
            今の社会にこそ求められる事だ。

            空海の残された言葉を聞いて私には心に浮かぶフレーズがあります。
            うちの店に元タカラジェンヌの永井多香子がいます、彼女の歌う「ソレヤード」というシャンソンに、人の出逢いの機微を、人を愛することの深さを感じます。
            愛という言葉を一言で語るには余りに深くて、切なくて本気で人を愛したことのある人にのみ与えられる御褒美とも考えます。

            この歌がただ男と女の「愛」にとどまらず出会った人々への賛歌と理解するなら〜
            友人 社員 子供 師弟 男と女とこの世に生を受けてから出逢った人々への賛美と考えると、こんなに深い感動はありません。

            お別れの時「あなたに会えて幸せでした」と、そんな心を伝えられる人が、伝えてくれる人がどれだけいるか。
            心の叫びに似た感動を持って最後の別れなる旅立ちができれば、人として生まれてこれ以上の幸せはないと思います。

            私の中で多くの社員の顔が浮かびます。
            〜出逢えて幸せでしたと言ってくれる同志の顔が。

            ソレヤード   読み人知らず

            🎼♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

             もうすぐ終わるのね 二人の砂時計
              さよならの足音が 背中に聞こえるわ

              あなたのぬくもりを くださいもう一度
              このこころこの肌で 覚えておきたいの

              ひとりで生きて行く 明日はつらいけど
              倒れずに行けるでしょう 想い出がある限り

            (語り)
             この広い世界のかたすみで
              めぐりあい 愛し合い
              そして別れてゆくふたり
              でも さよならのかわりに
              ひとことだけ言わせてください
              あなたに会えてしあわせでした

              さびしい人生に ひかりをくれたひと
              今はただ言いましょう この愛をありがとう

              今はただ言いましょう この愛を ありがとう





            我がグループの一つに「シーホース」が有ります。
            元宝塚卒業後、永井多香子は今は亡き深緑夏代さんの門下生。
            宝塚卒業後、文学座で松田優作さん達と芝居を学んだひと。
            台詞のある唄はうまい。



            20年~30年~40年の同志が〜我が社の宝物です。
            よくここまで付いてきてくれたものです。
            感謝あるのみです。



            たまたま出した表彰状!
            5年~10年と刻めば〜全員に出さなければなりません。



            平成元年にオープンいたしました
            サロン・ド・シーホース!
            この中には元タカラジェンヌが3人います。
            私も29年前は若いです(笑)
            ここは宝塚の薫り漂う上品な(自称 笑)お店でした。
            今は市役所裏に移転しています。
            posted by: shobentango | - | 02:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            今のテレビ事情
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              インターネットテレビのシャナナTVにお招き頂き、収録に行って参りました。
              今回は、肌専門家の吉田千春さんがパーソナリティの「Ask for Quality」という番組で2週放送されます。
              インターネットテレビと言えば、uraartTVの「この指とまれ ほんまモン」にも2回ほど出させて頂きました。
              インターネットテレビとは、24時間常時放送でパソコン、タブレット、iphone、スマートフォンがあればどこでも見れる、何とも時代の変化を感じさせるものです。
              私が子供の頃、池田市にテレビがある家は数件だったと記憶しています。まして、私の育ちました綾羽町ではお米屋さんに1台あっただけでした。白黒時代の「テレビ伝助」「ひょっこりひょうたん島」などなど、あの頃の鮮明なテレビの画像ははっきり覚えています。
              今、東京オリンピックの事がマスコミで取り沙汰されていますが、私は高2で観た、東京オリンピックのカラー映像を今だに忘れることができません。
              チェコスロバキアのチャスラフスカの体操の演技の美しさは今でも色あせることはありません。
              そして時は流れ、私が独立した昭和45年(1970年)は千里万博の年。「こんにちは〜こんにちは〜世界の国から〜♪♪」は今でもソラで歌えます。
              目まぐるしいテレビ業界の激流の中で私の商い人生の取材の記憶を辿ってみると、本当に驚くほどの取材を受けていました。感謝の意味を込めて今回は少し書かせて頂きたいと思います。


              <テレビ取材>
              読売テレビ スーパーテレビ
                    「元気・人情・ど根性・日本の商売人」
              テレビ大阪 草野仁の「追跡テレビの主役」
              毎日テレビ ちちんぷいぷい 「本を捨てれない女性」
              朝日テレビ ワイドABCDE〜す
                    「マンガにもなった商い人生 浪速の元気女社長に密着」
              関西テレビ なんぼDEナンボ
              毎日放送  ちちんぷいぷい「いよ!女社長!」
              朝日放送  美味紳助「3分ゴングショー」
              読売テレビ 朝パラ「華麗なる女社長」
              池田・豊中ケーブルネット 「まいど、わいど、街角ネットワーク」
              朝日テレビ このへんトラベラー
              関西テレビ どっキング48
              テレビ大阪 ノリで行こう!
              朝日放送  たけしの本当は怖い家庭の医学「メタボ特集」
              朝日放送  いまちゃんの「実は・・・」
              毎日放送  魔法のレストラン
              関西情報ネットten おでかけコンシェルジュ

              <ラジオ出演>
              ラジオ大阪 男の背中
              ラジオ京都 鈴木美智子の脳活ラジオ
              FM千里  びわ☆VIVA!びわりん♪ 他


              それぞれのテレビ取材によって店も私の成立ちも多くの方に知って頂きました。
              これからも日々新たに精進致しまして会長としての仕事をまっとうしたいと思っております。
              皆さま、どうぞ今後共よろしくお願い申し上げます。


              シャナナTV 「Ask for Quality」


              関西テレビ 「どっキング48」


              朝日テレビ 「このへんトラベラー」


              毎日放送 「魔法のレストラン」



              7月3日、7月17日の放送
              「シャナナTV見たよ」でワンドリンクサービスさせて頂きます
              (飲み放題メニューよりお選び頂きます)


              posted by: shobentango | - | 02:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              ビバ!漫画家 井出智香恵氏
              0
                先日のこと、思わぬ方が尋ねて来られました。
                その方は井出智香恵さん。
                ご存知の方もいらっしゃるかも知れません。そう、漫画家の井出智香恵先生です。最近知ったのですが、彼女はこれまでに出版した漫画のページ数は、68000ページで女性漫画家としては世界一なんだそうです。
                そんな偉大な漫画家がなぜ来られたかと言うと、今から十数年前に私の書いた著書「ナニワ女の商いの道〜商売なめたらあかんで〜」講談社刊、がきっかけでした。彼女が私の本を読まれ、以前の1985年の著書「びーだん べったん こめんじゃこ」JDC刊の二冊を是非漫画にしたいと言うことで出版社の社長と二人で池田まで来られました。社長とは初めてお会いしたのですが、話しているとユーモラスで、人間的な温もりもあり、とても魅力的な人でした。話はとんとん拍子に進み、早速「宴っ子」のタイトルで連載が始まったのです。
                残念ながら4回目が終わった頃にこの出版社が倒産し、全てが無に帰してしまったのです。
                井出先生の手による人物画のあまりの美しさと、現実の私との違和感は相当なものがあって、私としては正直ちょっとホッとした気持ちもありましたが、作者の先生にはそうではなかったのでしょう。
                ちなみに彼女のデビュー作は「リボン」(集英社)に連載されていた「ヤッコのシンドバット」です。次いで、レディースコミックに連載した「ビバ・バレーボール」がスポコン物のはしりとしてヒットし、1990年代に入って、嫁姑の永遠の問題をテーマにした作品の数々で押しも押されもせぬ、不動の地位を得られました。
                今回は出版社の倒産と運命をともにしたご自分の作品へのこだわりがあったのかも知れません。出来れば、「宴っ子」を完結し、何とか日の目をみせてやりたい。このままでは可愛そうだ、とおっしゃるのです。原作者の私としては、先生にそこまで愛着をもってもらえたのはとても嬉しいことです。しかしこれは十数年前に消えたはずの話。
                今はまだ、どうなるか分かりませんが、もしどこかの出版社から単行本が出版されるような事態になれば、またお知らせ致します。
                今回は私の人生の漫画化の〜恥ずかしくも嬉しい思い出の一コマです。


                女性漫画家として世界一のページ数(68000ページ)で、
                今も活躍中の井出智香恵先生。石ノ森章太郎さんが10万ページと
                言いますから本当にすごい方です

                先生の最近のマンガをとんちんかんに!
                ご来店時にサインをいれて下さいました
                さすが絵のセクシーさも、おとろえず、ステキです


                今は亡き母との二人の絵も私の一生の宝ものです
                幼い頃、こんなに可愛かった!(笑)ようです


                この美しい女性のモデルが平川好子〜なんて
                誰ぞ知る(笑)
                誰ぞ知る(笑)


                posted by: shobentango | - | 01:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                「正弁丹吾亭」と「正弁丹吾」
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                  昔から法善寺横丁にある老舗「正弁丹吾亭」とここ池田の「正弁丹吾」との関わりを尋ねられることはありましたが、このところそんな問い合わせが多くなってきました。
                  二年前に「正弁丹吾亭」の経営が「がんこ寿し」さんに変わったからかもしれません。
                  かの有名な「正弁丹吾亭」と、義父の始めた「正弁丹吾」は関係ございません。
                  ただその昔私が二十歳のときに一時期、正弁丹吾亭で見習いをさせてもらったことがありました。その経緯を書いた文章がありますので引用します。


                  『ナニワ女の商いの道〜商売なめたらあかんで〜』
                  2001年10月10日 講談社刊 

                  織田作之助の小説でも有名な正弁丹吾亭の存在は、いやでも私の意識にのぼってくる。もちろん義父の「正弁丹吾」は、すぐ横の公衆便所(小便たんご)にちなんでつけられたもので、彼の意識の中に「正弁丹吾亭」があったのではない。文学に無縁の義父は、きっと正弁丹吾亭の存在さえ知らなかったに違いない。けれども、同じ名前の正弁丹吾が、片や無名、片や有名であってみれば、無名の方が有名を意識するのは自然の心理だ。いったいその有名な正弁丹吾亭はどんな店やろ、という切実な好奇心から、私は織田作之助の描いた老舗を見に行ったのだった。
                   法善寺横町の水掛け不動尊の横手に「正弁丹吾亭」はあった。道頓堀界隈は派手な料理屋も多く、そんな中で人目につかずひっそりとたたずんでいた。店の構えも大きくないが、大地にしっかり根を張った樹木のように、どことなくしっくりとくる風韻があって、そこが老舗の老舗たる所以かもしれない。濃紺の地に「正弁丹吾亭」の文字が白抜きにされた暖簾を眺めていると、入口の横に貼られた小さな紙が目に止まった。『女中さん求む』と書いてある。私はまたとないチャンスだ、と咄嗟に決断して店の暖簾をくぐった。
                  「おこしやす」
                  「表の貼り紙を見てきたんですが・・・・・・」
                  「あ、そうでっか。おーい。募集のお人や」
                   奥にむかってそう声をかけられたのが、ここのご主人だった。物腰や声に落ちついた風格が感じられ、真っ白の割烹服できちんと帳場に座っておられる。そこから、奥の厨房とホールの隅々まで店内をひと目で見渡せる仕組だ。夕方のことでお客さんも少なく、全部で六人ぐらいいた女中さんも、そのときはひとりだけだった。板前さんの高下駄の音が、静かな店の中に快い響きを立てている。
                   私が真っ先に目を見張ったのは、塵ひとつ落ちていない店内の清潔さだった。テーブルもカウンターも床も、ピカピカに磨かれている。こんなつややかな光沢が、一朝一夕に出るものではない。毎日の掃除がどれほど行き届いているかは一目瞭然だった。きらびやかな外見の装いではなく、中に入ってみて初めてわかる心地よさ、奥ゆかしさ、暖かさ――これは紛れもない伝統の美しさなのだ。
                   おかみさん(ご主人の奥さん)と簡単な面談があって、
                  「一週間や二週間では困りますのや。しばらく辛抱できまっか?」
                  「はい。よろしゅうお願いいたします」
                  「ほな、きばりなはれ。ここにあんさんの連絡先を書いとくれやす」
                   私は池田の住所を書いて、女中に雇ってもらった。
                   仕事の内容は教えてもらうまでもなかった。他の女中さんたちの手前、ホールではあまり出しゃばらないようにと心がけ、私はもっぱら店内の掃除やお運びにいそしんだ。掃除も半端なものではなかった。おかみさん自らが便器の中に手をつっこんで洗われていた姿に感動すら覚えた。
                   ちょうどひと月が過ぎた頃だったと思う。その日も私は接客の仕事に精いっぱい張り切っていた。「おこしやす」と愛想よく迎え入れ、注文をきき、お酒を出し、料理を運ぶ。そして帰られるお客さんを、
                  「おおきに! またどうぞ」と大きな声をかけて送り出す。・・・・・・店の中がだんだんこみ出してきたとき、暖簾をくぐって入ってきたお客さんのひとりが、ちょうど帳場の側にいた私に目を止めて、素頓狂な声を上げた。
                  「正弁丹吾の姉ちゃんやないか! あんた、こんなとこで何してんねん!」
                   その声でみんなの目が私に集まり、私は一瞬言葉もなく立ちすくんだ。正弁丹吾は正弁丹吾でも、池田の正弁丹吾のなじみ客であった。正弁丹吾の姉ちゃんとはどういうことか。知っているのはこのお客さんと私ばかりだ。私は血の気の引く思いでご主人の言葉を待った。いったいこれはどういうことやねん?・・・・・・しかしご主人は、厳しい口調で、
                  「何したはります! お客はん、待ったはりまっせ! はよビール持って行きなはれ」
                  「す、すんません」
                   わずか十秒間の出来ごとだったが、私の中で時間が凍りついた瞬間であった。私の女中奉行も今夜限りだろう。そう覚悟を決めて、私は閉店まですべてを忘れて仕事に没頭した。
                   始めからそう言っておけばよかったのだ。けれども、老舗の料理屋のことだ。極秘に守ってきた店のしきたりや味は、決してオープンにしない因襲がある。たかが二十歳すぎの娘とはいえ、他店の娘、しかもこれから自分の店を持とうという者を、無条件に受け入れてもらえるだろうか。女中の身でもその気になれば、板前さんの極秘の技をこの目で見て、少しは伝統の味を盗みとれるかもしれないのだ。もちろん私にそんな思惑は全くなく、東京の修業を今も続けているつもりでいた。第一私が女中に雇ってもらったのも、全く予期せぬ偶然の賜物だったのだから。だがここは「かめ寿し」ではない。「ときわ」でも「みはし」でも「白鳥」でもない。ここは「正弁丹吾亭」なのだ! そして私は、「正弁丹吾」の娘。大事な店の屋号のこの奇妙な偶然の一致を、私は軽く見るべきではなかった。最初の面談のときにちゃんと話しておくべきだったのだ。たとえそれで断られたとしても・・・・・・。
                   店が終わると、私はご主人に呼ばれる先に帳場に行った。そして今までのことをすべて話した。
                  小さい頃から義父の店を手伝ってきたことや、義父が死んで、その店を母と私が継ぐことになったこと。今はちょうど店の改装中で、一年間東京で修業してきたこと。この店にきたのも、ひと目見てみたかったからで、募集の貼り紙を見て突然その気になって飛び込んでしまったこと・・・・・・。そして、今まで黙っていてほんとにすみませんでした、と頭を下げて謝った。それからひとこと、義父の名誉のためにもこうつけ加えるのを忘れなかった。
                  「義父が狎喫枌宛祗瓩般症佞韻燭里蓮店の横に公衆トイレがあって、その狆便たんご瓩らつけたんです。こちらのお店の名前を真似してつけたわけやありません。義父は絶対にそんなことをするような人ではありませんでした」
                   黙ってきいておられたご主人の口もとに微かな笑いが浮かんで、穏やかにこう言われた。
                  「そうでっか。ようわかった。それにしても、えらい度胸のある子やなぁ。ま、ここにいてる間にしっかり修業しなはれや」
                  「え?・・・・・・は、はい。一生けんめい頑張ります! ありがとうございます」
                   こうして私は、暇を出されることもなく、ビルが建つまで働かせてもらうことができた。そしてその間、ご主人は私に対してこれまで通り何ひとつ変わることなく接してくださった。おかみさんからは、この日以来、ひとことも口をきいてもらえなかったが。・・・・・・
                   最後の日、お世話になった礼を言い、名残り惜しげに店内を見渡して、見納めの最後の一瞥を暖簾にくれていると、ご主人が高下駄をつっかけてやってこられ、
                  「あんさんやったらやれます。頑張りなはれ!」
                   と最後の言葉をかけられた。そのご主人も今はなく、代も変わってしまったらしい(子供さんがいなかった)。だが伝統の味は、今も当時と全く変わっていない。伝統とひとくちに言っても、これを守り抜くのはすごいことだ。訪れるたびに、当時が蘇ってくる懐かしい器。昔ながらに盛り付けられた昔ながらの味。私はいつ行っても、その妙味を心ゆくまで味わいながら、ふっと帳場あたりにご主人の視線を感じてふり返る。テーブルにも、カウンターにも、店内のそこかしこにご主人の影を感じて、いきなり背後からご主人の声がきこえてきそうだ。あんさんやったらやれまっせ、と。



                  引用しながら、懐かしさで目頭があつくなりました。
                  池田の「正弁丹吾」は義父から私、私から子供たち(長男・三男)へと、今もバトンはつながっていますが、このことへの感謝を忘れず、奢ることなく地道にやって行ければと思っています。


                  2004年に発刊されました「北摂今昔写真帖」に出ています
                  昭和35年頃の池田市の公共施設や店舗、病院などが取材されています


                  昭和45年私の独立経営のスタートでした
                  今はこんな外装に変わっていますが、23才の年齢で
                  どうしてこんなことが出来たのか今は不思議なくらいです


                  この「ナニワ女の商いの道〜商売なめたらあかんで〜」
                  2001年10月10日、講談社刊のP42〜P48にこの法善寺横丁の
                  正弁丹吾亭と池田の正弁丹吾のくだりは書かせて頂きました


                  今も法善寺横丁に行くとこの正弁丹吾亭の看板が目に入ります
                  そして水掛け不動さんにお参りすると我が青春の1ページがうれしく
                  蘇ります

                  posted by: shobentango | - | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  美味探求〜大阪コテコテツアーに参加して〜
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                    先日大阪にとんとご縁のない方々との二日間をご一緒させて頂きました。
                    題して「大阪コテコテツアー」
                    なんば花月―NGKの漫才を堪能〜黒門市場〜法善寺横丁〜通天閣界隈散策〜というコースでした。
                    同じ大阪に住んでいながら、実際に通天閣まで足を運んだことがなかったことに気づいて、我ながらびっくりしました。
                    ”灯台下暗し”とはこのことですね。
                    通天閣周辺には串カツ屋さんのお店が並び、どこも申し分のない盛況ぶりでした。
                    私たちは中でも有名な老舗の“だるま”さんに入ってご馳走になりました。串カツと言っても、ここで出されるものは大きさが普通の3倍はあろうかと思われる特大なもので、それを実に美味なソースで食べるのです。このソースは「二度づけごめん」と言って、一度だけつける仕きたりになっています。見ていると、どのお客さんもこのルールを守っているようで、ここ大阪の食文化の一端が世界にまで浸透していることを痛感しました。もしかしたら“大阪のたこやき”を知っている日本人よりも、外国人の方が大阪の食文化にくわしいかもしれない。それくらい外国人観光客でどの店も賑わっていました。
                    通天閣と言えば、近くには“あいりん地区”があり、公園には数年前までホームレスの人たちがテント生活をしていました。行政の力でその数も減り、今では昔のおもかげも薄れてきた観がありますが、大阪のシンボルの間近に”あいりん地区”を擁し、共存できたことを思うと、全てを包み込んでしまう大阪のふところの大きさを感じます。そこにこそ大阪独特の食文化も育まれてきたのかもしれません。あの決して上品でない串カツの、見事な大きさを思い出しながら、そんなことを思っています。


                    黒門市場も、ここはもう中国?韓国?と
                    思うぐらい外国語があふれていました


                    レトロな100年前の通天閣界隈
                    模型がなんとも大阪らしい雰囲気を醸し出していました


                    免震回収の図がとてもわかりやすく納得
                    長い歴史の中で安全な建物に変化しているのが
                    よくわかりました


                    あべのハルカスをながめ、眼下には天王寺動物園。
                    平和で美しい大阪の空でした
                    posted by: shobentango | - | 00:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    美味探求〜東京の旅〜
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                      美味探求 東京

                      今回の旅は
                      東京の店のリサーチというより、オホーツク海を知り尽くした金澤このみ社長のお魚談義を、お聞きしたくての訪問。
                      思い起こせば2 年前!
                      我が社の社長と専務同伴で網走を訪れました。
                      網走市役所から漁協まで、現地出身のこのみ社長のご配慮で多くの魚について学ばせていただきました。
                      今も網走に流氷が接岸していて風が流氷をはらつた後の海にはプランクトンの山。
                      それを食べた春の魚は、どんなに美味しいかということです。
                      そのおかげで我が社の「ひら川」「とんちんかん」にも匠と言われるかたの干物が入ってくるようになりました。
                      「北海道 味くらべ」
                      鰊ーホッケーなめたガレイー真イカー氷下魚(こまい)
                      両店も人気メニューになっております。
                      東京ー京橋
                      神田新八での久しぶりの「宴」は
                      お魚の話に特化したこのみ社長との時間は、ゆったりとした中に高級魚をどう取り組むかの宿題をしっかり残したものでした。



                      北海道といえば、2007年9月13日に書いています。
                      それは北海道封印という決意を解いての旅でした。
                      10年前の思いを少し書かせて頂きます。


                      本当に久々に、北海道に行ってきました。

                      この旅に出るということ、特に北海道という地に赴くことは、実は特別な思いと決意がありました。私は、ある理由から、北海道の地を踏むことを長年自らの中で封印していたのです。理由は、友人のお子さんが、大学卒業の記念に訪れた北海道で、乗っていた自動車が正面衝突事故に逢い、命を落とされたからです。彼女は元スチュワーデス、そしてご主人はパイロットというご家庭でした。わが子を失った悲しみで、彼女はその美しい髪の毛を全部剃ってしまいました。子どもが親より先に逝ってしまう悲しみは想像を絶するものです。その半身を失くしてしまったかのような、つらい姿を目の当たりにしていた私は、彼女の悲しみを共有はできないけれど、内緒で心の中で誓ったのです。
                      「私も、しばらく北海道には行くまいと。」

                      それから長い年月が経ちました。今回この地に行く決心をしたのは、JCでいつもお世話になっている先輩のHさんが私と会うたびに、
                      「君の店には、あの頃のにおいと勢いがないね」
                      とおっしゃいます。

                      確かに私は25年前に「頓珍館」のオープン当初、日本全国の美味しいものをメニューに加えていました。例えば、隠岐島の鴫焼き、鹿児島のトンコツ、秋田のきりたんぽ、そして週に一回岡山からいわなまで取り寄せていました。

                      「もうすぐ人生は終わるけど、君は何を残す?そしてどう終わるの?」
                      「人生って、間に合えばいいんです。足りていればいいんです」よね、と。

                      丁度、時期的に商売の方もそろそろ子どもたちにバトンタッチできるよう準備が整い、精神的に自分を見つめ直していたときでもありました。お店は長男、三男が、様々な場所で修行し、自身のオリジナリティと組み合わせ、ゆっくりですが歩み始めています。
                      そろそろ、私も残りの人生、Hさんのおっしゃる「足りていれば」の答えを出すために使ってみてもいい頃かもしれません。
                      北海道の封印も、そろそろ解いても良いだろう。食の現状を見に、全国行脚の旅に出よう……、そのような意味の旅の始まりでした。



                      この頃から10年経った今、この旅の意味を噛み締めながら、私の美味探求の旅はまだまだ続きそうです。
                      そして、33年経った今、『新生とんちんかん』として又、新たなチャレンジを
                      昨年11月にスタートさせて頂きました




                      我社の三代目社長(長男)、専務(三男)との旅は
                      干物の匠に出逢うという旅にもなりました


                      このみ社長ご用達の、この新八さんは高級なお魚満載の
                      素晴らしいお店でした
                      このお値段で満席・・・うらやましい限りです


                      この「北海道味くらべ」は人気メニューの一つになりました


                      この流氷の海がもたらす豊かさは、現地を知る漁師さんのみか・・・
                      私たちはその恵を受けておいしい魚にありつけます




                      『新生とんちんかん』リニューアルイベント第二弾

                      2月末まで 15%オフ 続きます!!



                      posted by: shobentango | - | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |