美味探求・北海道 釧路の思い出

昔、私の近しい友達が大学卒業寸前のお子さんを北海道で亡くし(車の事故)、私も悲しみを分かち合えればと長い間彼女のために、北海道の旅をやめていました。彼女のあまりの悲しみの深さに、どうしても北海道を訪ねることができなかったのです。
そしてそれから長い月日がたち、この間、久しぶりに北海道・釧路に旅をしました。タンチョウなど多くの鳥達の休息地であり、日本最大の湿原、釧路湿原を横目に見ながら、知人を訪ねる本当に短い旅でした。
この旅の一番の発見は、リヤカーに天日干しのカレイを積んだ魚売りのおばさんです。彼女と話に花が咲き、時間が経つのを思わず忘れてしまうほどでした。
積んでいる太い金具に眼を刺したカレイは、あさ北海道で取れたばかりのもの。それをリヤカーいっぱいに干しながら売るのです。
この場所(ある信号の端っこ)で長年魚を売っているとか。
「こうして売るのは、釧路の町では私一人になってしまった」
と彼女は誇らしげに胸をはっていました。
近所の人が来て、このカレイが大きいの小さいのという会話をする間にも、魚がどんどん太陽に干されて乾いていく……。思わず昭和のはじめにタイムスリップしたかのように幻想的で、感動を覚えるほどの光景でした。
私もそのカレイを何十枚も買って帰り、従業員ひとりずつに食べてもらったのですが、みんな口を揃えて「おいしい!」と言ってくれました。
なにせ、朝まで泳いでいたものをリヤカーに乗せ、お喋りの場所が乾かすところ、そしてお店なのです。なにも添加物の入っていないその魚は、スーパーなどで買うカレイの干物とは別物のおいしさ、そして別格の安さ。「流通」というシステムの間違いを、気づく場所であったような気が致しました。

そこで取れたものをその場所で食べていく、「地産地消」はまさにロハスの原点。その小さいサイクルに、人の喜び、つまり「食」というスタイルがあるのではないかとも思いました。
リヤカーのおばさんの天日干しカレイは、そんな食の原点を再確認するとともに、自分の祖母に出会ったような優しさと感動を覚えた、忘れられない出会いでした。
釧路の旅も終わり、帰る間際立ち寄った竹老園のそばは、抹茶が入っている真っ青な色もとても美しく、そして美味! さすが、「釧路に行けばこの蕎麦屋」とすすめる店の風格を感じました。


 この旅の帰路で、なんと偶然にも私の住む大阪の隣町の豊中から釧路の牧場に嫁いだという人と出会い、お友だちになりました。「もう余命いくばもない、お父さんのお見舞いに帰る」という彼女は極寒の地、釧路の様子を多く語ってくれたのですが、まさに自然の厳しさに驚きの連続……。
音を立てて落ちる雪。家までも自然の力で盛り上がって沈むという現象(部屋に段差は一年中起きるという)。そんなことを計算した上で、深く深く基礎をうって家を建てるのだそうです。
全く理科や科学にうとい私には今だにどんなことか分かっていません。
そして、なによりも心を動かされたのは、ご縁があって嫁いだとはいえ、牛の世話、草の刈り取りという、一年中休みのない仕事を彼女がしっかりとこなしている、ということです。
親にもすぐ会えないような、北海道と大阪という遠い距離。つまり時間やお金で解決出来ない過酷な現実が見えるのです。私も今回の旅では、一度東京に入り、東京から釧路に飛びました。(大阪からの着ゲートから釧路への発ゲートへの長さはあきれるばかり、空港の端から端まで歩いた感じ!!)航空業界が大変な時代に入り、今まで便利過ぎた航空路が、不便になっている一つの表れでしょう。飛行機の路線がどんどんなくなり、飛ばなくなる空港も数多く出てくるといいます。
伊丹空港でお別れの時、握手をした彼女の手は、まるでグローブのようにカチカチでした。最後に言った言葉は
「これから一年中の草を刈らないといけませんから・・・
父の死に目にはもう会えません。今日が最後です。
牛の食べる草を刈らないといけない時期ですから」
遠距離恋愛をし、思いを遂げた彼女の汗と涙を感じる、深く心に残った旅でした。



この竹老園(明治7年創業、127年の歴史)で頂いたおそばは、
私の一人旅にきれいなお抹茶色の思い出をくれました。


多くのそばの食べ歩きをして参りましたが、この美しい色はそんなにあるものでは
ないと思いました。
店主伊藤徳治氏の言葉がかかれていました。
「私の一生は蕎麦造りただそれのみ」と。


この雪がなくなった後も残る地面の盛り上がりが、住む人にとって家をも壊す怖さだといいます。大阪の住人の私には本当に分からない不思議な盛り上がりです。


信号の端っこでのんびりとリヤカー囲んで日々かわされる井戸端会議!!
なんとものどかで・・・懐かしく干されたカレイも満足そうでした。

ありがとうございました中田昌秀先生

江戸時代の中後期、世の中に川柳というものが生まれておよそ250年。宝暦7年(1757)に発表された「降る雪の 白きを見せぬ 日本橋」が初めて世間で"川柳"として認められた発表句だそうです。
 当時の、雪が積もる間もないほど終日人馬が行き交う日本橋の賑やかな景色が、この一文で目に浮かんできます。このように、最小限の言葉数で世相や風景を伝えられるのが川柳の素晴らしさだと言えるでしょう。
 私自身もそんな風流な言葉綴りに魅せられた一人。なにわ文化人川柳の会「相合傘」にも参加させていただき、もう長い年月がたちます。この「相合傘」の喜びは、桂三枝さんを始め、イラストレーターの成瀬國晴さん、上方講談師の旭堂南陵さん、放送作家の新野新さん、古川嘉一郎さん、など、錚々たる先生たちと膝を交え、川柳を作ることによって普段は出会えない先生方の面白さ、人生観を垣間見られることです。
 また、このご縁で「なにわ文化人劇」と称し、三枝さんの演出で、なんばグランド花月の舞台に立つこともありました。川柳も芝居も歌も同じで、そこには「文化」という浪漫が流れているのです。
 生きてきた人生は皆、違うはず。その中で一つの芝居を作ることによって、その人の全人格が見え、また、その人達と深いつながりが出来る……。劇を通し、とても多くのことを学び、大切な人生の宝物を得ることができました。
 私にこんな数々の出会い下さった「相合傘」主催の中田昌秀先生が5月1日にお亡くなりになりました。中田先生はテレビの人気番組「てなもんや三度笠」「ヤングおー!おー!」などの制作に携わった、もの書きの第一人者とも言える偉大な方です。私は幸運にも川柳という括りでつながりを持つことができ、いろいろなことを教えていただきました。
はじめて出会ったのは数十年前。とある会でお芝居「ベルサイユのバラ」をすることになり、そのときの脚本を先生が全部私たち用に書き下ろして下さったのです。サンケイホールという大舞台で、私はオスカルを演じました。今の体重じゃとても入らないような(笑)、宝塚のオスカルの扮装をそのまま真似て…。
 今はもうない暫ビルでの度重なる「ベルバラ」の練習や、暫ビルで行なわれた数々のパーティーも思い出深いことです。
 中田先生は放送作家、作詞家、川柳作家、芸能評論家、実業家、大手芸能プロダクションの主宰、料亭経営…などなど肩書きも数多く、その文化レベルの高さ、経済の知識、人脈の多さなど、突出したバイタリティーがある方でした。
そして何よりも素晴らしいのは結婚の回数! 結婚は5回か6回、他にも女性の数は数え切れないほどというからオドロキです。
お別れ会の前の家族葬にて、早めにお伺いをした私は、奥様、そしてお嬢様の中田眞城子さんと、お通夜とは思えない話題で盛り上がりました。それは次のような驚くべき先生の伝説!
 先生の本妻さんは「その1」。2番目の奥さんが「その2」で3番目の奥さんは「その3」。子どもたちは「その1の1」、「その1の2」……という風に、延々その1その2…と数が続いていくのだそうです。そんな話の最中にも
「あ、今その5が来られました」
という声とともに、向こうから美しい70歳ぐらいの女性が楚々と歩いてこられます。それを「その1」の本妻様が、
「どうも、ようお参り」
と日常での挨拶のような自然さで交わされているのを見てびっくりしました。
 さらに先生は、全ての女性に対して、別れたら別れっぱなし、子どもの養育費を払うことも、まったく無かったそうです。お相手は料亭の女将など、全員生活力のある人たちだといいますからたいした女性ばかりだったのでしょう…。
 私も晩年「パイロットと別れて俺とはよ結婚しよ」とあいさつ代わりに言われたものでした。(「はよ別れ、はよ別れ」と何度言われたことか…)後で聞いてみると、最後の入院中も看護師さんに「結婚しよう」と言っていたそうです。つまり、あいさつ言葉が「結婚しよう」だったのですね(笑)。
 「その1」のお嬢さん、つまり「その1の1」の中田眞城子さんから、晩年、先生の「最後の結婚」を必死で止めたというエピソードを聞きました。先生は70歳後半、新妻になろうとした女性はなんと20歳代。どうしても結婚したい、と泣きついてきたそうで、眞城子さんが
「財産は何も無いよ。あなたは奉仕するだけの人生よ。なにもない父になんでそこまで…」
と聞くと、
「分からない。結婚したいだけ」
とその女性は言い切ったそうです。
いまだに答えが出ない先生の魅力、魔力、ズッコケ。聞く側によって評価は様々と思いますが、とにかく引力の強い方でした。
 最後に、私が先生の言葉で感動した言葉で締めくくりたいと思います。
 以前「阪急友の会」で「川柳作家 平川好子の会」なるものを計画していただいたことがあったのですが、先生に
「川柳作家と言われるには恥ずかしくてお尻がムズムズ…。お断りしましょうか」
と相談したのです。すると先生はこう答えて下さいました。
「平川君、人生はなんでもええねん。たいそうに考えることやない。なんでもやったらええねん。僕の結婚と一緒や。何回でもやって〜やりなおしたらええ。そこに本気さえあれば」
 その先生の言葉が、自分の今の、会長になって始めた新ビジネスにつながったのかもしれません。
 イラストレーター・成瀬國春先生がオブザーバーで出席という優しい友情も加わって、毎回麺料理ひら川の料理を召し上がっていただいて、多くの参加者でにぎわったものでした。
 先生、本当に、本当にありがとうございました。


家族葬でお供えさせて頂いた
「平川好子」のお花!
仲良しのお嬢さんの配慮で!
心からのお礼とお別れが出来ました。


先生の句が数点!!
お元気な頃に頂いたアドバイスが
今の私の川柳の基礎に!!


なんだか妙におもしろく!ずっこけ!
ざこばさんも一日間違えての・・・
なんとも皆ほのぼの・・・


本当に最後のツーショット!!
池田の我正弁丹吾グループ「ひら川」
「シーホース」が先生との最後の飲み会に
なりました


百人一選 〜冷汗駄句駄句〜 中田昌秀著

●中田昌秀先生の句
   「思い切り 悪いを思慮が あるという」
     (ものも云い様で丸くおさまる)
 
●平川好子より先生の句へのコメント
    ゆっくり考えても一緒なのにぐずぐず男の多いこと、多いこと。
    “自由とは 酒が自由に飲めること”
    酒は微酔に飲むべし(中国古典)やかましい!
    今日もまた無粋に飲むゾ!

●中田昌秀先生が平川好子を語る
   「商売をなめずに苦労なめている」
     ナニワ女の商いの道−商賣なめたらあかんで−(講談社刊)
    が劇画になった。
    彼女の食べもん屋商賣の生き様を書いたものである。
    私が感動したのは女なるが故の商賣の苦しみとか家庭の問題
    ではなく経営者と従業員のかかわり合いの部分である。
    これほど従業員とのふれ合いを大切にしているオーナーも
    少なくそれによって店も伸びていることが分かる。
    喫茶店に居酒屋、パブ、サロン、又うどん屋と。
    それが全部池田に集中している。その辺の理由は知らぬ。
    多店舗経営の場合、従業員教育が基本になるが、
    彼女の場合は教育というより分身を作ることに賭けていて
    それが成功している。性格は底抜けの明るさ。
    若い頃は芝居もしたが、今は川柳も楽しむ年齢になった。
    男女を越えた良き友達である。
    「やせてこそ苦労話は納得す」

マクロビオティックの昼食ビュッフェ、スタート!

わが正弁丹吾グループ・ケータリング事業部がスタートして5年になります。
500名様位の大きなパーティーからお弁当まで、「ケータリング」とひとくくりには表せないほど多くの経験をさせていただきました。一日1000食のランチョンセミナーの数種類のどんぶり、3日間で1500食のサンドイッチ、桜の季節のお花見弁当、アフタヌーンティーパーティ……などなど、ケータリング事業を
「待ちの商いから出かける商いへ」
と豪語したものの、本当に不安で、身が引き締まる思いの新ビジネスでした。一回の食中毒ももちろん無く、お客様の「きれい!」「かわいい!」「おいしい!」という言葉を聞きたいばかりに、朝まで仕込みをし、そのままお客様のもとに走る時もあるという日々。そんな慌しさをくり返し、やっと「ケータリングという形式だからこそできることはなにか」が分かってきた今日このごろです。お客様においしい料理を運び、一時の「幸せ」をお届けできる喜びはもちろんですが、提供する私達にとってもサプライズの連続でした!
先日は、ある宅急便の業者様の早朝ビュッフェケータリングで、ベストサーブのシェフ、平川千麿は、涙があふれんばかりの経験を致しました。
その団体は、オーストラリア・メルボルンからのお客様で、なかには自家用機で来られている方もおられたそうです。
シェフの千麿は、明徳学園時代に、一年間メルボルンに留学していたこともあり、お客様とメルボルンのことで話が盛り上がったそうです。彼がいつもプレイしていたゴルフ場のオーナー社長がおられたり、彼の通っていた学校の校長先生の親友の方がおられたり、とても親近感のある話題で終始したパーティーだったようです。
彼いわく、「ケータリングは感動ビジネスと思っていたけど、本当やね」。
10年の月日を経て、高校生だった僕が、今ケータリングのシェフとして大阪でメルボルンの人達と再会できるなんて…。

またこのケータリングビジネスが、今年私たちに新しい挑戦のチャンスを与えてくれました。それは「マクロビオティック」というくくりのお料理のケータリングです。
知人で白血病を患っていた方の情報で、池田にある「オーガニックレストラン ばんまい」というお店も知り、その影響で私も朝食は長年玄米食です。しかし健康的なご飯、健康的なお野菜を食べていても、朝までお酒を飲んでいると、私のような肥満になるのはあたりまえですが(苦笑)……。

このマクロビオティックへの挑戦によって、いかに玄米が大切か、いかに産地の知れないお野菜が怖いか、調味料による体への害があるかを再確認するいい機会にもなりました。
このお弁当配達は、池田から東大阪、奈良法隆寺、福住、奈良市内を回り、また東大阪に…という一日200キロを走り回るという距離。2〜3年で新車が一台ダメになるほどだそうです。
実は、私はこの仕事に対して、お話を頂いた時には、
「なぜ6時から200キロもの配達に出るの?」
「年間を通して毎日配達してくれる人は見つかるの?」
などなど、私にとりましては、とても不安の多い案件でした。
この今までにない、慣れないケータリングを、三代目の一言で、私はすべての思いを引くことになりました。
その一言とは、
「きっちりとちゃんと誠意を尽くし、
身体によいお料理を作れば、
時間通りに配達すれば、
毎月決められた日に決められた売上が入ってくる幸せ。
今の時代は母上、これでいいのではないですか」
「僕は続けます!!」。
これを聞いて、「もう、彼に全面的に任せて良いかな」と思いました。
私は、既存店もケータリングも生き残りをかけて戦っている外食産業の今、質と味と調理をきちんとお届けできる店であり続けたいと思っています。

このお弁当を決めた三代目達に、心からエールを送り見守っていきたいとも思います。



以下のお野菜は今回改めてその特徴や効能を調べなおしました。
良い情報はこれからも探し続けたいと思っています。






新メニュー登場!!

4月も中旬に。桜の咲いて散る様子を見ていると、不思議と人生のさまざまな出来事が思い起こされます。
40年前の昭和45年、自社ビル(現在の麺料理ひら川のビル)を建てての独立。当時1階が正弁丹吾という寿司屋、2階が私の「甘党、辛党の店たんご」、3階がお座敷というこのビルを母と二人で切り盛りしてのスタートでした。「たんご」は、今の和風ファミリーレストランの走りのような店で、昼は定食や麺類を食べている人の横でカキ氷を食べている人がいる、夜はお鍋や刺身を食べているお客様の横でぜんざいを食べているお客様がいる、という風景もあたりまえ。
「けったいな店やなあ」
とよくお客様から言われたものです。
「たんご」の数あるお料理の中で「おままごと」というメニューには、私の原点があります。今ではどこのお店でもメニューに入っている、小さなお料理がたくさんのっているお膳のようなものです。おにぎりも天ぷらも3センチ程のミニサイズ。おひたしや酢の物などを小さなお猪口のような器に盛り付けたもの。
これらの食材が、まな板のような杉のお盆に、彩りよく盛り付けをしたもの。
お洒落でかわいいお料理の盛り合わせが「おままごと」。
料理のすべての原点はそこにありました。

2010年4月1日付で社長を長男の千人、専務を三男の千麿に引き継いだ今、彼らはお料理を本当にていねいに、素材や調味料を厳選したものでメニューを構成するようにまりました。レトルトを使うと、驚くほど簡単に色とりどりのメニューが構成できる今です。
「すべて手づくり、すべて店内仕込み」の中から生まれた「トマト鍋」もその一品です。私たちは、これからもお客様に喜んでいただける料理をお出しできるよう、お店が続く限り、惜しみなく努力していきたいと思っています。
ここでちょっと出来合いのものを使えばこの何時間は早帰りができるのに…。しかし、私たちの店は昔も今も「コツコツ」が基本。コツコツトントントントン、そんな音を感じながら、今回も良いメニューが生まれました。昨今多いご法事などに備えたお料理や、いろいろなお味が楽しめる定食など、8年ぶりにメニュー改正! カルト料理とおうどん以外は全部、リニューアルしています。定食などは同じお値段のまま、いろいろ、ちょっとずつを食べたい、というお客様のご要望に合わせた内容に衣替えをしました。
この挑戦がいつまでも続き、体に悪さをする添加物や食材を使わないお店として生き残れれば、この世紀、最大の不況の中、こんなに幸せなことはありません。
私ただ今、63歳、会長就任。
40年の商い人生、55年の飲食人生をかけて、
よいお料理が残る。
よい料理人が残る。
よい商人が残る。
そんなことを祈りつつ…。



「おままごと」に原点がある、このご膳もゼリーまでもが手作りという自信作!
頑張れ3代目!というメニューかもしれません。



「にぎわい膳」という、かご膳も、自家製麺のうどんがついて1500円、
はちょっと頑張りすぎのメニューかもしれません。
鰹がよくきいたおだしは、大阪を代表する銘店のレシピです。



今春また再登場の「トマト鍋」のスープも丁寧にしっかりと何時間もかけて引いています。



このようなカナッペにも飾り付けの繊細さが・・・
ベストサーブ(弊社ケータリング部門)が得意中の得意のお料理です
おままごとのように、丁寧に可愛くいっぱい飾って!

大村崑さん・瑤子さん結婚50周年を祝って

先月3月1日、ロイヤルホテルにて、大村崑さん・瑶子さんの結婚50周年のお祝いの会がありました。崑さんご夫妻は、頓珍館のオープン時からのお客様でもあります。私は35年前から奄美大島でスキューバーダイビングをはじめ、主人が退職する3年前まで、毎年奄美の海に行っていました。そこで知り合ったダイバーの方のご紹介がスタートでした。以来25年間多くの場所で、お付き合いをさせていただいていますが、芸能人という立場を振りかざすことのない、気さくでお人柄のいいご夫妻です。
最近では瑶子夫人が夏、イタリアのナポリに単身で数ヶ月カンツォーネの勉強に行かれています。もちろんいつも原語で歌われるのですが、全く言葉がわからない私が聞いても心に響く、素晴らしい歌声です! 
そしてなんといっても、とっくに年金をもらえるお年になっておられるのに、その美しさたるや……。まさに目を見張るほどです。しかも、今回はご結婚当時白無垢を着ることができなかった瑶子夫人のために(当時崑さんのあまりの忙しさのためウェディングドレス1着のみだったそうです)、奥様念願の白無垢の花嫁衣裳を用意されていました。70代の女性にとって、白無垢はある意味「オソロシイ」衣装。それに挑戦するのは非常に勇気がいることです。不自然になったりバランスが悪く見えてしまったりすることもあるのですから(そちらの方が可能性が高いかも……)。ところが、瑤子さんは高島礼子さんにそっくりの美しさで、
「私が瑤子さんにいつも高島礼子さんとそっくりですよね」と言うと
「彼女が私にそっくりなのよ!」といつもおっしゃいます。(笑)
ジュンちゃん、セイちゃんという二人の息子さんも、幼い頃から存じ上げていますが、すっかり大人になられて、本当に「良いご家庭」の代表のようなご一家です。
崑さんは先日亡くなられた藤田まことさんととても深いおつきあいだったようで、「もう喜劇界では、この年代、僕一人になりました」と挨拶しておられました。
パーティーはなごやかに進んでいき、芦屋雁之助さん・小雁さん、そして崑さんの3組合同で行なわれたという、当時としてはとても珍しい結婚式の画像などが映し出され(テレビ局を入れた結婚式のはしりだったそうです)、大盛り上がりのパーティーとなりました。
 なんといっても一番素敵だな……と感じたのは、そこここに有名人がおられるのに、みなさんがとても自然体で楽しんでいらっしゃる、その雰囲気です。突然飛び込んでこられた八代亜紀さんも、お二人ととても長いお付き合いらしく、終始リラックスムードでした。
華やかな世界におられながらも、崑さん、瑤子さんは、私に対しても長いお付き合いというスタンスはいつも全く変わらず、すごいご夫婦だなぁ……と思うことしきりでした。
その昔、私の自伝「びーだん べったん こめんじゃこ」に、無償で絵を貸し出して下さった「昭和の夢二」こと中島潔画伯と優しい目があまりにもそっくりな崑さん。
ひとかどの人はみんな同じオーラをお出しになるものだと、つくづく感じます。
今を楽しめる女性は、いつまでも美しい……という事を体現しておられる瑤子さん。
このおふたりに、乾杯!



ご夫妻の金婚式を祝う会!
ご祝辞も藤本義一、新野新、成瀬國春、コロッケ、
水谷豊さんなど有名人の方々のコメントのラッシュでした。



どうしたらこのお年で、こんなに美しくいられるのか!
家庭を持っている私にとっても永遠の課題かもしれません。



関西生まれの私にとって、大村崑、藤山寛美、芦屋雁之助、
芦屋小雁さんの画像は、関西喜劇人の方々との懐かしく
嬉しい再会のようなひとときでした。



崑さんのご子息、ジュンちゃんと!!
お互いに大きくなりました(笑)が、25年前から変わらない
彼もご両親と同じく本当にお人柄のよい人です

バレエに魅せられて

今回は、春に向けて華やかなエピソードを。
阪急池田駅前、わがグループ店「ひら川」のすぐ近くに、「エトワールバレエスクール」というバレエ教室があります。その公演に、毎年連続で行かせていただいているのですが、幼稚園や小学生くらいの人が、これだけ踊れるのか…と、本当にビックリ! 
この美しい世界が、大出唯さんという一人の先生によって、ここまで完成できるものなのか、と驚いています。演目は「ドンキホーテ」「くるみ割り人形」「眠れる森の美女」等々、子ども達が上手に踊ることに大感動…。この教室には、日本の大きなコンテストで賞を獲っている子が大勢いる、というのも納得です。この教室が、ひら川とご近所である偶然に、素晴らしいご縁を感じました。
私自身、子どもや孫に、女の子がいないので、このような美しく可愛い世界は、別格のロマンを感じ、観るこちらも少女の頃に戻ったかのように、ウキウキと胸が弾みます。
歌舞伎やお芝居など、もともとエンターテイメントは好きな私ですが、「クラシックバレエ」には特に、大きな憧れを持っています。50年くらい前、私が子どもだったころ、少女マンガのストーリーの中に、バレエやピアノが必ず出てきたものです。主人公達が着るヒラヒラと美しいチュチュという名の衣装を、私も着たい!と、風呂敷を何枚も腰に巻き、真似をして、踊っていたのを思い出します(笑)。
 大きくなって社交ダンスも好きだったので、映画「shall we Dance?」の草刈民代さんにも惹かれたものです。20歳くらいのとき、社交ダンスを習っていました。特にラテン系の踊りは凄いものでした!最近ケータリングのお仕事で、パーティのデモストレーションの中に、プロの社交ダンスの方々が参加され、その中で一番感動を覚えたペアとお話することができました。しかも驚くことに、その方が、私の知り合いである安食慎太郎画伯のお嬢さんだったという偶然!そのおかげで、再び社交ダンスをたくさん観るようになりました。
最近は、五月山体育館に有名な人達がたくさん来られているようです。美しい技の数々や「カチッ」と決まるポーズは、思わず声をあげてしまうほど感動致します。ラテンのリズムに繰り広げられる完璧な踊り。それは不思議と、食べものに通ずるものを感じます。
お客様の求めるものを、時やタイミングを外さず、「カチッ」とつながる音が入るようなお料理やサービスを提供できたとき、私達の職業の真骨頂といえるのかも知れません。さりげない「カチッ」という音の中に、水面下の訓練だとか、積み重ねのお料理のワザだったりがあるんだなあ、と思いつつ、社交ダンスもバレエも拝見しています。
どの角度からでも、私の仕事、そして生活を豊かにするヒントがたくさん隠れていて、学ぶ事が本当に多い、そして楽しいと感じます。
そんな毎日に感謝し、今日も好奇心のアンテナを張り巡らせています…。
美しいものに魅せられて!!



エトワールバレエスクールの主催者唯先生
毎年教える子たちがあらゆるコンテストで賞を取っています



この美しいクラッシックバレエが私の幼い頃からのあこがれ!!
本当に美し〜〜〜い!!



エトワールの発表会の打ち上げを頓珍館にて・・・
かわいくて美しい未来のバレリーナにカンパイ!!



この美しい社交ダンスにも忘れえぬ青春の思い出があります
バレエもソシアルダンスにも感動!!
夢のある美しいものは本当にステキですね!

里帰り出来ない、息子へ

みなさま、明けましておめでとうございます。
2010年もよろしくお願い申し上げます。
私は忙しい年末を終え、家族や仲間と新しい年を迎えることができる喜びを噛み締めつつ、穏やかに年始を過ごしました。しかし一つ、寂しさと心配の種が…。次男の千輝です。アニメ制作で忙しくて帰れない、とのこと。もちろん、お正月を返上するほど仕事に恵まれているのは、このご時勢、とてもありがたいことだと思います。しかし、息子の帰りを待ちわびる親心は、いくつになっても変わらないものです。
昔、まだ彼がアニメの世界に入った頃やはり彼を思い、彼への思いを何かに表現したくて「誕生日いつ帰るの?」というテーマで出品したテーブルコーディネートで、賞をいただいたことを思い出します。あれは、テーブルコーディネートの勉強をはじめて1ヶ月目だったでしょうか。ちょうど大きな大会があったので、東京でアニメの制作会社「スタジオピエロ」で監督をしている次男への思いを込めて作った、テーブルコーディネートを出品したのです。そして、その製作意図を書くレポートも
「いつでもがおかえり、いつでもが誕生日」
そんな内容で写真に添える文章を作りました。後日、この賞を選んで下さった先生にお会いできたので、話を聞いてみると「テーブルコーディネートを見る前に、まず文章に心打たれました」と言っていただけたのが、とても印象的でした。
それから約10年。彼の作る「NARUTO」はフランスやイギリスなど、海外でも放送され、ファンを増やしていっているようです。
世界に通用する作品づくりをしている彼にエールを送りながらも、帰ってくると私が冗談で、
「大阪に帰っておうどん屋でもやらない?兄弟3人で食べもんや!!俗に言う三本(・・)の(・)矢(・)!!強い組織が出来るよ」
なんて言うと、彼が
「はぁ?僕がうどん屋?やれると思う?」
と返し、笑い合うのがあいさつ代わりのようになっています。
帰って来られないのにはそれなり理由があるので、寂しいですが、母親としては祈って待つしかありません。
こんなとき、室生犀星の詞がいつも頭に浮かびます。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや」
この詞を思い出すたびに、食べることに困ろうが、乞食になろうが、ふるさとは帰るところではないですよ…という内容が胸につきささり、辛く悲しく残ります。育て終わった息子に対してもう祈るしかないという、良い親子関係が、永遠なることを。
今は、年に一度酒盛りするのがやっとで、普段の生活では、東京で忙しく働く彼を、遠い大阪の空の下、その健康と活躍を心から祈るしかありません。
皆様、アニメ「NARUTO」を見ていただければ、とても幸いでございます。
そんな母のページで、新年は始めさせて頂きました。
今年も、皆様にとって穏やかで幸せな年になりますよう、お祈り申し上げます。


次男の帰阪を願い、つくったテーブルコーディネート
入賞作「誕生日、いつ帰るの?」より


むかし・むかしの3兄弟


長男・千人(麺料理ひら川)の昨年のヒット作品「トマト鍋」
長い時間かかってとるスープが、トマトやお野菜を美味しく!


三男・千麿(ベストサーブ)がN.Yスタイルのケータリングをコーディネート
彼の作品は、案件ごとに違う料理を!違うコーディネートを!

おかえり、めぐみちゃん!!

正弁丹吾グループは、「食」に一生懸命なのはもちろんですが、「人」も素晴らしい個性の人たちが揃っていると自負しています。
わが社は、「従業員が戻ってくる」確率がとても高いのです(私は、とても出戻りという言葉が好きです)。従業員が出戻るという事は、仕事の面でも、もちろん助かるのですが、何よりも嬉しいのは「外に出たから余計に良さが分かる」と感じてくれること。「出戻りが企業を支える」という格言があるほどですから、その言葉どおり、帰ってきた人達は、前以上に活き活きと働いてくれています。
めぐみちゃんも、「水商売なんて!」と親から勘当まで言い渡されながらも、短大卒業後うちの店で働いてくれていたという波乱万丈の経歴の持ち主。結局、彼女の気持ちが両親に通じて、勘当は解けましたが、勤続7年の後、お父さんの難病が発覚し、看病のために店を後にしたのでした。
退社後7年の月日が経った今、金・土だけですが、現役復帰してくれることになったのです!昼は不動産業、夜はわが社で長年のブランクをものともせず、頑張ってくれています。
彼女が働いているときには、まだ存在していなかったケータリングにも、すでに三回ほど参加してもらっています。(土日のみ)
彼女曰く、
「7年が長いのか短いのか分かりませんが、私がいなかった間に、ベストサーブという新業態が増えて、充実した会社になっているんですね。前は、お客さんが来ない日は『来ない、来ない』と待っているばかりでしたね・・・」
離れていたからこそ、店の前進を、私たち以上に大きく感じているようです。
「私も、どれだけ体力と気力が維持できるか分かりませんが、今また青春時代の夢や希望が胸がいっぱいに燃えた頃に戻っています」
笑顔で「選手宣誓」をしてくれためぐみちゃん。
彼女の素晴らしさは、すぐに発揮されました。一回目のケータリングではどうしたらいいのか、目が定まらず、右を向いたり左を向いたり…の状態だったのですが、2回目のケータリングでは、ドンと構えていましたから!
そして先日、1000名様のケータリング!
ベストサーブ始まって以来の人数・・・とにかくよく走り、よく守ってくれていました。
ちゃんと全体が見えていて、一番大切なところに指示を飛ばしたりして、まさに「昔取った杵柄は健在!」。手が、身体が覚えているんですね。
そんな従業員達の成長を見守ることができ、今年は、嬉しい気持ちで終われそうです。
「本当におかえり、めぐみちゃん」が嬉しい嬉しい2009年の年の暮れです。



「本当におかえり、めぐみちゃん」
めぐみちゃんについて詳しくは・・・
ナニワ女の商いの道〜商売なめたらあかんで〜
講談社刊 131ページに
 ◆客商売は人生修業の学び舎◆


7年前の一コマ!!(右から2番目がめぐみちゃん)
みんな7歳若く・・・
まだまだ青春は続きます!


〜ケータリング後期〜
1年の締めくくりの時期。ケータリングでは、去年に引き続き、様々な出会いがありました。
1日1000人という依頼!300〜400人はやってきましたが、1000人という規模は、本当に手探り。しかし大変さより、こういったエコやロハスを考える取り組みでお仕事をいただけたのは、「すべて手づくり」という、ベストサーブのこだわりが認められたのかな……と嬉しさで胸がいっぱいになります。
従業員達も、とにかく体力と気力勝負で頑張ってくれています。作り手もサーブする側もものすごいパワーを要しますが、「待ちの商いから出かける商いに」と豪語してはじめたケータリングですから、お断りする事はほとんどありません。そうした積み重ねが、今回のお仕事にもつながったと思っています。
ベストサーブが支持される理由としては、京都での京料理修行、フランスパリ修行を経て、手づくりで本物の美味しさを独自に追及するトップシェフの平川千麿がいる、ということが大きいでしょう。眠れないほどの労力はあるけれど、化学的な味にがっかりすることが多い昨今の食材やメニューに染まらず流されず、手づくりに徹してやっていきたい、という思いがあります。そして、それは確実にお客様に届いています。
またわが社のケータリングの、もうひとつの大きなお楽しみ、華やかで目的に応じたテーブルコーディネートは、私が担当。20代から40年、フラワーデザイン、そしてテーブルコーディネートの腕を磨いてきました。どの会場でも、いかなるリクエストが来ても、デザインできるのは、そんな経験の積み重ねの強さ。すべて個別対応です。「ベストサーブ」は、今まで培ってきた創造力の集大成だと思っています。
もちろん、まだまだ学びの道は続き、私も現状に満足せず、レベルアップしていくつもりです! 来年もいろんなことに挑戦させて頂ければと心より願っております。
どうぞ皆様、よいお年をお迎えくださいませ。
 重ねて来年もよろしくお願い申し上げます。
2009年12月15日



83名様も集まられた、平川千麿シェフによる
スイーツレッスン!!
X’masにちなんでベストサーブがプロデュース!!


X’masならではのコーディネートに
お子様たちはとっても楽しそうでした。


Myプレートに、オリジナリティあふれる
X’masデコレーションを、
アラザンやチョコペン等で楽しまれました!

懸垂幕川柳に入選!!!

私は川柳が大好きで、疲れて帰ってから朝まで詠むこともあるほどです。
しかし、今まで多くの川柳募集に対して出したことが無く、今回はじめて、百貨店主催の「全国けんすいまく川柳」に挑戦しました。なんと1位が100万円!それ以外の賞は1万円。さてさて、私の作品は……。おかげさまで、1位ではありませんでしたが、入賞して阪急百貨店うめだ本店に飾られました。
 川柳はもはや私の生活の一部。桂三枝さんの上方文化人川柳「相合傘」から始まり、そこで中田昌秀さんという先生に出会って、会員である新野新、古川嘉一郎、旭堂南陵、成瀬國晴先生など錚々たるメンバーと席を並べ、お酒を飲みながら、ワイワイとざっくばらんに川柳を詠み合うという素晴らしい環境で楽しんで来ました。
そして今回、遅まきながらの初応募、そして初入賞。とても嬉しかったですし、こういう面白さがあるんだな……と改めて発見できました。発表までの間、100万円もらったらどうしよう?みんなで旅行に行ったり、百貨店でなにか買ったりしている映像が目に浮かんでくるんです。宝くじと同じ感覚です。当たるわけがないのにワクワクドキドキ…。このウキウキ感は、子ども時代の「ごほうび感」に似ています。
私は小学校のころ、勉強をしない代わりに(笑)運動神経は人よりよく、運動会の花形でした。運動場の半周くらい抜く足の速さで一等になり、ノートや鉛筆をもらったものです。おかげで、六年間一度も鉛筆とノートを買ったことがありません。
今では徒競走など一等、二等をつけたらダメ、という平等を重んじる風潮があるそうですが、私の時代は「それぞれのジャンルで、できる子を讃えてくれる」という教育方針が通っていたので、スポーツ万能な子は景品をもらったり、絵がうまい子はトロフィーをもらったりして、ごほうびをいただいたものです。
この懸垂幕川柳の入賞で、その頃の高揚感がよみがえってきました。物や賞状がもらえるというのではなく、一番嬉しいのは、「やり遂げた充実感」が評価として確信できる事です。2001の食博でもらった料理コンテスト1位(「呉春鍋」)も、料理人たちの誇りだったのは、「頑張ったら認めてもらえる」というのが裏にあったのです。「頑張ると、こんな喜びがある」というほんわかした充実感。それが今回の懸垂幕公募で、再び芽生えました。「おーいお茶」や「サラリーマン川柳」などにも、挑戦してみようかな…??と思っています。
 阪急百貨店うめだ本店は現在、工事中で、懸垂幕という形ではなく、地下に通じる階段のところに、全国1位の人と、入賞3人、合わせて4人分の川柳が飾られていました。それを見つけてメールや手紙を送ってくださる人が多く、「こんなに見ていらっしゃるんだ!」と少々驚き、嬉しく思いました。
 この懸垂幕公募は、私が新しく通わせていただいている「川柳五月山」で最初にいただいた情報でした。「川柳五月山」は、「相合傘」とはまた違った川柳の面白さを教えてくれる場所です。「相合傘」の例会が、金、土曜日の月2回で、残念ながら食べもん屋をしている私にとってはほとんど参加できない曜日です。「寂しいな」と思っていた矢先に、教えていただいたのが「川柳五月山」でした。つくづく、会によってできる句(私の気分によるところ大ですが)は全く違うものだ、と通うたびに驚きます。たとえば「相合傘」では「デブデブというなあんたもかなりやで」でワッハッハ……と笑いを取ったものですが、「川柳五月山」では、先日「月」というお題で詠んだ私の句は、「月光の蒼さに座りひとり酌む」。うって変わって厳粛なムード。どちらも大好き川柳ですが、これからどんな句が生まれるのか楽しみです。
私にとっては、金・土夜の「相合傘」がだめなら昼の「川柳五月山」があるさ、という勢いで、忙しくとも絶対続けたいと思っています。川柳万歳!です。
 とはいえ、これから年末にかけて、インフルエンザの猛威におびえる中、忘年会シーズンの到来に備えて、思うように句を詠めない日々が続きそうです。
これからは忘年会に向かってまっしぐら・・・
皆様「どうぞ、忘年会よろしくお願い申し上げます」



ケータリング後記

今月も心に残るケータリングがありました。
高台にある新築の高級マンションで、クリスマスイルミネーションの点灯式があり、住人の方々を集め、そのマンションの設計士、ランドスケープ(庭)のデザイナー、照明デザイナーの方々とのパネルディスカッションが行われました。
その後、ベストサーブのお料理でしばし歓談!!生演奏はボサノバ♪♬♪
かっこいいセレブな奥様方でいっぱいのステキなパーティでした。
千麿シェフにケータリングの名刺を40名もの方々がご要望!!
「うちにもケータリングを」と。
何とも嬉しいパーティでした。

もう一件は、昨年に引き続き大手化粧品メーカー様の内定式後の懇親会でした。
このパーティで思いましたのは、今年の不況の中でずい分キリッとした良い学生さんが入社されていると思いました。不況は企業にとって素晴らしい学生さんGETの年なのかもしれません。
時代の流れと痛感
美しい女性に囲まれて。
明日から又、しっかりきれいに厚い厚いメイクをしなければ!(笑)と。


阪急百貨店の通路に飾られていました。
1位の人(賞金100万円)に会ってみたいなぁ(笑)・・・と。


せっかくなので、賞金も持参して記念撮影を!
嬉しい一枚になりました。


セレブな方々の集いでお仕事させて頂けた感動!!
「おいしい」のお言葉に謙虚に感動!!


このピンクと赤がコンセプトカラーの企業様。
又、来年もパーティのご依頼がありますように・・・と。

ケータリング・ベストサーブがお店の中で

少し前、池田ロータリークラブで講演をさせていただいきました。
実は、今までも様々な分野の方々からオファーを頂いてはいたのですが、
「お客様より高いところで講演などおこがましい……」
という私なりの考えの中で、池田での講演は、ほとんどお断りしていたのでした。しかし今回は、池田市立図書館からダイハツ工業株式会社も、三回に渡って社員研修させていただいた実績の中で、「そのようなわがままは通用しない時期にきている」と感じたのです。そこで今回はありがたくお受けし、池田ロータリークラブで
「待ちの商いから出かける商いへ」
をテーマに、2002年の道交法で痛手を受けた地方都市の食べもん屋の「現状」を踏まえてはじめたケータリング事業部の話をさせていただくことになりました。
N.Yスタイルのベストサーブは全国で初のケータリングプランナーとして、
私どもがスタート致しました。
池田ロータリークラブの方々に、私たちが取り組んでいるケータリングビジネスがどんな内容かをいうことを、より分かっていただくために、店の中で(麺料理ひら川の2Fにて)ケータリングのノーマルな形を実際に作ってみたのです。
すると結構評判がよく・・・
「こんなことをやっているとは知らなかった!」
との声の多かったこと。
さらに話を聞いて、市役所の方が今度結婚する一人に
「結婚披露宴をシーホースでやろう」
とすすめて下さり、店(シーホースの3F)のところどころにビュッフェ形式のお料理をおいて、実際にやらせていただきました。
 私たちのケータリングは、猛威をふるっている新型インフルエンザの恐怖におびえながら、“いつでも”“どこでも”“お届け”、というコンセプトを貫いています。
思い起こせば、本当にいろんな場所や条件でお食事を運ばせていただいたものです。キャバレーでの結婚式、深夜4時から始まる新地のクラブの打ち上げパーティー。400名のケータリングの撤収が30分という大阪中ノ島公会堂のパーティー。昼に始まる岡山のケータリング……。なかには、ホテルのオープニングパーティを私たちのお料理で、というのもありました。去る10月4日は名古屋の森林公園で野外結婚式並びにパーティ・・・
“待ちの商売”から、“出かける商売”になり、いろんな出会いがありました。
 そんなある日に、池田の店(待ちの店)には文福さんが元朝日放送の方と一緒にいらしてくれました。楽しい会話の中で面白いなぞかけをたくさんして下さいました。
その中で・・・
「ひら川の料理とかけて 文福の落語ととく ネタが新鮮」チャンチャン♪
「呉春とかけて 腕のいい大工さんととく のみくちがいい」チャンチャン♪
「中原さんご夫妻とかけて 頓珍館鍋ととく 似たものフーフー(夫婦)」チャンチャン♪
何ともほっこりと和む会話!!
待ちの商売から、出かける商売とはいいますが、待ちの商売を頑張って続けていたからこその出会いもあります。待つ(店内)もよし、出かける(ケータリング)もよし。
商いとはいやいや面白いものですね。



ケータリング後記
8月に心斎橋にビリーズブートキャンプでおなじみのビリーさんのスタジオがオープン致しました。
そのオープニングパーティ並びに9月のビリーさんのバースデーパーティも同スタジオで、ベストサーブがやらせて頂きました!!
私はテレビで踊る彼の姿しか存じ上げなかったのですが、パーティの合間にも参加者の方々と素晴らしく身体を動かしておられました。
このスタジオは、ビリーの義母でおられる佐藤様の社交ダンスのスタジオも兼ねていらっしゃるとか。同年代の奥様のスタイルの良いことこの上なし。今更ながらに自分の無くしたボディラインを悔やむことしきり・・・。
人生とは取り返しがつかないことが多すぎると、これまた深く反省の秋の夜長でした。



店内(ほんまもん麺料理ひら川)にて、テーブル席を使いビュッフェスタイルを表現!!


市役所の方々による、シーホース3Fで貸切結婚披露パーティ!!


名古屋の尾張旭市の森林公園にて、新郎新婦の希望で噴水の前で牧師さんへの誓い!!


池田在住の中原ご夫妻と文福さん
本当にさわやかな落語家さんでした
世に出る人はやはり、お人柄もよし!!基本中の基本かも


ビリーさんのブートキャンプのパーティより!
広くてきれいで素敵なスペースでした
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