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全体ミーティングは緊張感の中で
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    〜全体ミーティングは緊張感の中で〜

    創業85年になります我が社ですが〜
    忙しさにかまけて時々飛びがち!
    この大阪府北部地震と大雨に食べもん屋と
    致しましては、お客様のご来店が激減!


    なにをどこから手をつけていいか
    本当に大変な時間でした。
    思い起こせば阪神淡路以来池田に居住致します
    私自身も(揺れる)という怖さが少し薄れていました。


    今回は店は揺れによって外壁タイルが飛んだり壁に
    ヒビが入ったりして地震の怖さを!
    ジグソーパズルのように小さなタイルに穴があき、
    こんなに細かく
    飛び散るのだと〜揺れのすごさを感じています。


    どうお客様をお迎えしてて!
    どう満足して頂けるか!
    また社員一同ミーティングに参加した者
    できず店を守っている者


    小さな組織ですが
    ある政治家がいつも言われたように〜
    ちいさいことをコツコツと!
    これをやり続けましょうと7月ミーティングは
    終わりました。


    本日は
    我が社の四代目??候補の参加もあり
    面白いミーティングでした。

















    posted by: shobentango | - | 16:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    川柳 五月山 IN頓珍館 ー7月例会ー
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      川柳 五月山 IN頓珍館 ー7月例会ー

      毎月第1月曜日に
      川柳作家 森中惠美子先生をお迎えしててしての
      句会です。


      森中先生の句碑を池田の託明寺さんに
      建立させていただき5年!
      先生の川柳が三句入っている句碑は全国でも〜ここだけという。
      ともあれ暑い最中に
      名だたる川柳結社の御代表の方々がお集まり下さいました!


      「託す」
      由緒ある 寺に託した 惠美子句碑
      せめてもと 大安に買う 宝くじ
      手を握り お願いねって 目がいった
      託したと 言ってはみたが 眠られず
      母の介護は 優しい人に 巡り会え


      「自由吟」
      足首に ちよっと自信が ごさいます
      捨てられぬ 夢は今でも 棚の上
      通夜の席 娘の縁を 頼まれる
      笹舟に 想いをのせて 天の河
      道行の 曽根崎あたり から迷う

      400年の歴史の託明寺さんでの5年になります
      「句碑祭り」!
      今年も無事に終わりました!会長といたしましては
      来年の句会を楽しみに散会させて頂きました。



















      posted by: shobentango | - | 01:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      和歌山 フラワーガーデン 荒木!に。
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        和歌山 フラワーガーデン 荒木!に。

        随分前から娘のように親しくさせていただいている
        千早赤阪村のイクコさんのガーデンの投稿が、
        あまりに美しくて〜いつかのお約束を!


        3000坪もあるガーデンに季節の花が咲き乱れて
        四季折々の美しさが!
        この暑い最中に昨年からの約束がやっと果たせました。
        そこでのお食事も和歌山のロハス料理そのもの!


        涼やかな風に吹かれてオーナーの荒木さんの生年月日
        からくる姓名判断は、とても面白かったです。
        今一度立ち止まって色々考えてみなさいに、
        いい機会を頂きおもしろいひとときでした。


        彼女もここにきて時折良い時間を過ごしていると言う
        それぞれが折に触れて〜こんな時間を持てたら
        豊かな時間を持てたら〜嬉しいことです。


        驚きますのは
        ガーデンで和歌山の友人のゆかりさんに!
        お互いに店の中央のフラワーアレンジメントの前で
        「キヤァ〜〜」
        「うそ〜〜」
        「えぇ〜〜」
        と叫び合い抱きあい!うるさいこと!うるさいこと!


        私はカッコつけて
        フランスのブルゴーニュの森での偶然の再会の気分と。
        本当に随分お会いしてない方と初めての場所で会う!
        御縁の不思議としか思えません。


        イクコさんは私を池田まで送ってくださって〜〜
        頓珍館で「トマト鍋🍅」を。
        長い一日 200キロ走りましたと!
        持つべきものは若い友人!それも美人の🎊🎊



































        posted by: shobentango | - | 22:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        断捨離
        0
          断捨離
          私は「人生の店じまい」とよんでいます。

          20年以上前に
          AERAでこの「人生の店じまい」の特集が組まれて たことがあり私はとても関心致しました。


          今その時が来た気がして、そろそろやらなくては〜とおもつています。
          私にとって洋服は2~3日もあれば社員の人たちが
          引き受けてくれます。
          難儀なのは着物です。


          母が亡くなった30年近く前は全く興味が無くて
          みんな差し上げました。
          暫くして和物に興味が出て、買ったり頂いたりで
          沢山の着物があります。


          貰って頂くにしても、失礼のないようにと考えると、面倒で今日に至っております。
          暑い最中少し整理しつつ始めました。
          「この着物はあのお茶会で〜」
          「この着物はあのパーティで〜」
          思い出とお遊び!がまた長い。


          ともあれぼちぼちはじめます。
          使って頂けます方は〜
          ご連絡下さいませ。
          この何枚かがお嫁入りしてくれました。






















          posted by: shobentango | - | 14:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          夏祭りー茅の輪くぐりー
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            昔からある神社の行事です。
            無事に夏の暑さを乗り越えて元気に
            何事もなく
            無病息災を願う。


            氏神さんの池田 神田の八阪神社の茅の輪くぐりに
            初めて参加して来ました。
            二人の孫も蚊に刺されながら参加!



            倉田市長ー原田衆議院議員ー原田府会議員の
            お顔も〜暑い中💦
            議員さんたちも大変だなと思いました。














            posted by: shobentango | - | 17:27 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            池田 呉服座 丹吾いきましょ会
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              丹吾・呉服座いきましょ会 ー7月例会ー

              毎月町おこしの一環で始めました、大衆演劇を観ましょう!
              何年か続きていますが毎回20~30名様が参加!
              今月は
              市川英儒座長
              お芝居は上手、そして踊りもうつくしい!

              地震から豪雨
              とても投稿できず今日まで来ました。
              お客様がお店から消えて大変な今ですが私たちも、
              頑張ります。な
              被災されたみなさまも頑張ってください。

















              posted by: shobentango | - | 16:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              『よしこ語録』
              0
                突然ですが、この「よしこ語録」も今回をもちまして、ひとまず締めくくることに致しました。
                旅にも恋にも必ず終わりが来るように、この語録もその時を迎えたように思います。
                これまでも何度か挫折しそうになりましたが、未知の読者の声(毎回よしこ語録を読むのが楽しみです)に後押しされて頑張って来れた気が致します。たったひとりでも、そんな励ましがあったから15年も続けて来れたのでしょう。
                ある時は、回想の中で義父や母と話し、それを語録で再び語りかける喜びに浸りました。
                ある時は、かけがえのない人を亡くした喪失感を、そのまま語録の中で皆さまに聞いて頂きました。
                そしてある時は、新しく始めた事業を報告し、思わぬ反響の多さにこの語録に感謝したのを覚えています。
                恭ちゃんや富士ちゃん(50年来の友であり今も現役の従業員)の近況を語る時は、載せる写真でもめながらも、この語録が一座建立の結束を確かめるこの上ない場になってくれました。
                こうして私の15年間、この語録は私の私的な日記でもあり、皆さまへの池田通信でもあり、そして何より私自身の心の反省の場所になってくれていました。
                でも、いつかはこの語録にも終止符を打たなければならない時がきます。70を過ぎて、書くことが少々きつくなり始めた頃から次第にその事を意識し始めました。ひと月に1回(最初は月2回)、短い文章とはいえ、書くことにはそれなりのエネルギーがいるのです。
                それでも「続けることに意味がある」と自分に言い聞かせながらやってきましたが、何の誰のための意味だろうと考えていた矢先、ある方からこんな言葉を頂きました。『無理してませんか。この頃の語録、ちょっと感じが違うんだよね。何かいつもの平川さんが遠のいていくような、そんな感じなんだな』
                心に突きささる言葉でした。最近は出来事をかくにも、心のともなわない単なる報告文になっていたのでしょう。そんな文章が心ある読者に届かないのはあたり前です。
                どんな些細なできごとでも、心の目で見るとそれはきっと宝石のように輝く──そんな信念を持っていたはずの私が、こんなにも堕落していたのでした。
                このままではいけない。そうだ、この辺で1度ペンを置いてみる時かもしれない。ゆっくりと時間をかけ、心の何かを落としてから出直そう。──そう決心がついたのが、この正月でした。奇しくも今年は私にとって6度目の戌年。そして平成という元号も終わりが見えてきました。いろんな意味で、私にもひとつの変わり目なんだろうと今は思っています。
                そんなわけで、このよしこ語録のページは今回をもって閉じることにしました。
                楽しみにして頂いていた方には身勝手で申し訳ありませんが、私の気持ちをくみ取って下されば幸いでございます。
                みなさま、この15年間、本当にありがとうございました。この長きにわたって、日々折々の出来事を通して、種々な思いを皆さまと共有出来たことは、本当に幸せでした。これは紛れもなく大切な私の心の軌跡です。心からの御礼を申し上げます。



                最後に私の大好きな言葉を皆さまに。



                           




                またいつかどこかで皆さまになにか御伝え出来ますことを夢見て…
                お元気で。
                                           深謝
                                     平成30年1月末日


                昭和8年創業の『正弁丹吾』
                昭和45年私が23歳の時に小さなビルに生まれ変わりました


                昭和45年から何度かの改装によりビルの外装も
                今の形に生まれ変わりました


                直近では、『頓珍館』32年目の改装でした
                マドンナスタイルの矢絣の着物に袴姿からこのスタイルに
                大きく生まれ変わりました


                昔は毎年奄美大島へダイビングやカニ・スキーの旅!
                今では全店休業での日帰り慰安旅行が皆の楽しみ!!
                こんなささやかな弊社の行事が続きますように。
                posted by: shobentango | - | 01:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                会席料理のはじまり
                0
                  第112回京料理展示大会が毎年12月13、14日に開催されます。
                  見事な料理の数々を拝見しながら懐石と会席の違いを学んだ頃を思い出し、とても興味深い一日でした。
                  十数年前に日本にテーブルコーディネーターなる言葉を目にするようになり、私は生花、師範から始まり茶道、フラワーアレンジメントと共に、近年面白いライセンスと思い、テーブルコーディネーターの資格を取りました。
                  勉強の内容は西洋に息づくカトラリーなどの決め事から、アフタヌーンティーに至るまでの約束事、加えて日本食における懐石と会席の違いまで試験には頭の痛くなる程の量が出ました。そして時は流れ今回もこの京料理の一大イベントに参加させて頂き、日本料理の底の深さに今更ながら感服致しました。
                  又ここにも長いお付き合いの
                  伝承料理研究家…奥村彪生先生の講演の様子が記載されていました。
                  先生のお料理に対する造形の深さは本当にすごいと心より尊敬致します。
                  ちなみに我が社の「頓珍館鍋」は奥村彪生先生のレシピそしてアドバイスによるものです。30年近く前に開発したこの鍋ですが、美味しいとの声が聴こえる度に奥村彪生先生のお顔が浮かび、当時我が家にお泊り頂き、飲み明かしたこと等懐かしく嬉しい想い出です。
                  今回は懐石と会席料理の歴史をひもときまして、今年最後の「よしこ語録」とさせて頂きます。
                  皆さま、どうぞ良いお年をお迎え下さいませ。
                  今年も一年間のご贔屓心より感謝申し上げます。





                  懐石とは茶の湯の食事であり、正式の茶事において、「薄茶」「濃茶」を喫する前に提供される料理のことである。利休時代の茶会記では、茶会の食事について「会席」「ふるまい」と記されている。江戸時代になって茶道が理論化されるに伴い、禅宗の温石に通じる「懐石」の文字が当てられるようになった。
                  天正年間には堺の町衆を中心としてわび茶が形成されており、その食事の形式として一汁三菜(或いは一汁二菜)が定着した。これは『南方録』でも強調され、「懐石」=「一汁三菜」という公式が成立する。また江戸時代には、三菜を刺身(向付)、煮物椀、焼き物とする形式が確立する。さらに料理技術の発達と共に、「もてなし」が「手間をかける」ことに繋がり、現在の茶道や料亭文化に見られる様式を重視した「懐石」料理が完成した。なお、『南方録』以前に「懐石」という言葉は確認されておらず、同書を初出とする考えがある。
                  現代では茶道においても共通する客をもてなす本来の懐石の意味が廃れ、茶事の席上で空腹のまま刺激の強い茶を飲むことを避け、茶をおいしく味わう上で差し支えのない程度の軽食や類似の和食コース料理を指すといった実利的な意味に変化している。

                  懐石料理は茶事以外の場、例えば料亭や割烹などの日本食を扱う料理店を初めとして様々な飲食店で提供される饗応料理である会席料理と同じ「カイセキ」の発音の混同を防ぐため、茶事を目的とする本来の懐石を特に「茶懐石」と表して区別することもある。

                  懐石と会席料理は音が共通するため、しばしば混同されるが、両者は全く別のものであり、料理を提供する目的も異なっている。懐石は茶事の一環であり、茶を喫する前に出される軽い食事で、酒も提供されるが、目的は茶をおいしく飲むための料理である。一方、会席料理は本膳料理や懐石をアレンジして発達したもので、酒を楽しむことに主眼がある。料理の提供手順も異なっているが、顕著に異なるのは飯の出る順番である。懐石では飯と汁は最初に提供されるが、会席料理では飯と汁はコースの最後に提供される。

                  また一人一人に料理が盛って持ち出され、茶席におけるように、取り回し時に特別の作法を言われぬことなど、総じて料理屋で食べる会席料理は打ち解けたものであることが多い。また料理店によっては料理のみを提供し、料理の後に薄茶の提供がないこともままある。加えて、懐石料理は本来量が少なかったことから、量の少ないコース料理全般を懐石と呼ぶ傾向があり洋風懐石や欧風懐石といった名称の料理が存在する。

                  尚、「懐石」には「料理」の意味も含まれているため、「懐石料理」とするのは重言となるとの向きもある。













                  posted by: shobentango | - | 02:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  美味探求〜京都烏丸界隈〜
                  0
                    私がこの烏丸界隈に興味を持ち始めたのが15年ぐらい前のこと。
                    丁度三男が京都外大時代に祇園花見小路の「やげんぼり」さんにお世話になっていた頃、烏丸の辺りがザワザワしてきた。
                    古い町家がカフェに、イタリアンレストランにと街並みが変わっていきました。
                    平安京の烏丸小路にあたるこの辺りは、北は北大路バスターミナル(北大路駅)の北側の今宮通まで。南は京都駅で分断されるが、久世橋通まで延びている。

                    1877年に京都駅が誕生してから四条烏丸交差点周辺を中心として烏丸通は京都のビジネス街とされ、多くの銀行や企業がひしめいている。

                    少し時代を遡ると、「からすま」の語源は「河原の洲(砂州)に接した土地」を意味する「川原洲際」(かわらすま)だと考えられている。これに「烏丸」と当て字するようになったのがいつ頃のことなのかは定かではないものの、平安京造営の際にはその地にすでに賀茂川の一支流とみられる烏丸川という小川が流れていた。その河原に沿って整備された小路が烏丸小路で、今日の烏丸通の前身である。烏丸川の方は応仁の乱後から渇水しがちになり、天正年間までに埋め立てられその姿を消してしまったという。
                    この「烏丸」、平安遷都の当初はまだ字面通りに「からすまる」と読まれていたとみられるが、やがて時代が降ると撥音便化が起きてこれが「からすまん」になり、さらに語尾音が脱落して「からすま」に転じた。今日では「烏丸」を含む名称のほとんどが「からすま」と読まれているが、旧堂上公家の烏丸家とその家系に連なる者に限っては今日でもこれを「からすまる」と読んでいるそうです。


                    ここのところ烏丸のレストランをリサーチしていましたところ、先日 ESSENというレストランを友人が紹介してくれました。これぞ、京町家というお店でした。和洋折衷のお料理にはどこか京料理の趣も残していて。ほぼ女性客で満席の意味は分かります。
                    今は烏丸から御所南地域に少し変わりつつあるとか!
                    丁寧なお料理探求の京の旅はもう少し続きそうです。




                    烏丸通りから、ちょっと入れば未だ未だ
                    こんな路地に出会える


                    京 モダンと私は呼んでいます!
                    このような店の散策も、この界隈の面白さです


                    レストランの窓からは、懐かしき昭和や大正の風情が
                    そこかしこに残ります


                    店内は女性客で満席!
                    ご予約は無しでは余り入れないという
                    posted by: shobentango | - | 02:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    鎌倉歴史探訪
                    0
                      鎌倉(かまくら)は、現在の神奈川県鎌倉市の中心部に当たる地域。源頼朝を旗頭として、北条時政、北条義時らによって鎌倉幕府が置かれた都市であり、三浦半島の付け根に位置し、相模湾に面しているので古くは鎌府(れんぷ)とも呼ばれたらしい。
                      鎌倉時代には日本の政治において最も重要な位置のひとつを占めていて、12世紀末から14世紀半ばの1333年まで幕府が置かれた。 近代に入ってからの鎌倉には鎌倉文士と呼ばれる作家、美術家などの文化人が集まり住み、幾つかのドラマや小説などの舞台にもなってきた。
                      今回訪れた鶴岡八幡宮は、康平6年(1063年)源頼義は由比郷鶴岡(鎌倉市材木座)に「鶴岡若宮」として、河内源氏の氏神である河内国石川郡壷井の壷井八幡宮を勧請した。この年は、頼義が陸奥の安倍貞任を討ち、前九年の役が終結した翌年である。頼義は、氏神として信仰する八幡神に戦勝を祈願していた。そして、戦いの後、京都郊外の石清水八幡宮に勝利を感謝し、本拠地の河内国壷井に壷井八幡宮を勧請し、河内源氏の東国進出の拠点である鎌倉に八幡神の分霊を祀った。これが今も鎌倉の中心である鶴岡八幡宮の起源である。

                      鶴岡八幡宮は鎌倉の象徴となり、都市計画は八幡宮を中心に行われたらしく、寿永元年(1182年)には八幡宮の表参道が整備された。現在も鎌倉のメインストリートである若宮大路がそれである。当時、水田の中の道だった若宮大路は、石を積んで周囲の地面よりかさ上げする工事が行われたようで、現在「段葛」(だんかずら)と呼ばれている、両脇の車道より一段高くなった歩道はその名残のようです。

                      基幹大路の名と現在通称されている道路名に小町大路と小町通がある。小町大路は筋替橋から材木座までの由緒ある大路で、その両側には幕府高官・御家人の屋敷が並び、とくに大町四つ角以南は当時の鎌倉随一の繁華街でもあった。このため、日蓮の所謂「辻説法」も、この大路の彼方此方で行われたものと考えられ、今も大路の2箇所に辻説法跡の記念碑(大町の本興寺門前、及び小町2丁目)が建てられている。今ではこの付近は閑静な住宅街となっている。一方、小町通りは、鎌倉駅前から鶴岡八幡宮までの比較的新しく名付けられた観光土産屋通りであるが、現在では多くの行楽客で賑わう一大観光スポットとなっているようです。


                      また、報国寺の孟宗竹の竹林の美しさは特に心に残りました。
                      足利、上杉両氏の菩提寺として栄えたお寺らしく、国の重要文化財もあり、鎌倉国宝館に保管されているそうですす。



                      この広さ〜開放感は〜鎌倉時代の勢いそのものだと思いました。
                      ここから小町通りまでの散策は半日はかかる面白さでした。


                      八幡宮のも鳩がマーク!
                      随所に〜お守りからおみくじまで、本当に鳩づくしです


                      報国寺の孟宗竹は京都以外で久しぶりに、
                      素晴らしい竹林を樂しみました


                      なにげなく入ったそば屋さん
                      しらすと小えびのぶっかけそばを頂きました
                      さすが相模湾のしらすの美味しさ、
                      小えびのさくさく感は絶品でした
                      posted by: shobentango | - | 00:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |