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奇妙なご恩がえし・・・フランスの旅
0
    今年でケータリング十周年の節目を迎えました。私の三男の千麿が始めた事業で、私たち親子の間でその時から秘かに決めていたことがありました。10年経ったら富井様にお礼に行こうね、と。
    そして先日、フランスのパリを訪ねました。
    富井様ことトミーは純粋な日本人で今年で85歳になられますが、今も矍鑠としたお姿で、ジョエル・ロブションというフランス料理最高峰の店のテレビ番組のコーディネーターとしても活躍しておられます。
    そんなお方を私たちが何故にお訪ねしたかというと、話は20年前にさかのぼります。
    千麿がまだ中学生だったころ、ORA主催の研修旅行に参加したことがありました。たまには旅行もできる余裕が私にもやっと出来た頃だったと思います。その年の旅先はフランスで観光をかねて色々なフランス料理の店を見てきたのですが、そのときのツアーガイドをして下さったのが富井様だったのです。
    出会い早々、並のガイドではないことは誰の目にもわかりました。単に観光ガイドに博学だっただけでなく、たとえば老舗のパン屋の前を通るときなど、ここのパンは塩の産地が悪いとか、バターの分量はどうのこうのと、そのあまりの詳しさに私達はあっけにとられっぱなしでした。そしてとうとうツアー最後のレストランに入った時、彼は、
    「あなたたちはいやしくも外食産業の人間でしょう。そのあなた達がこんな店を選ぶなんて最低だ。私はここで一緒の食事はお断りします!私は帰ります!」
    と憤慨のあまり、さっさと帰ってしまわれました。
    何と変わったガイドだろう。中にはその単刀直入の言動に不快感をもった者もいたようですが、私は彼の感性の鋭さにとても興味を感じていたので、夜な夜なフランス料理のお話やハーブのお話や、フランスの歴史について、旅の間すっかり仲良しになりました。今回のガイドのお礼にと花を家に届けて帰国致しました。
    それから数年後、千麿の京都外大卒業後の修行先の店を選ぶときになって、突然富井様が私たちの前に舞い降りてくださったのです。そう、天上界から舞い降りてくださったとしか言いようがありません。ガイドの時はその片鱗も見せず、ただ変なおじさんと思わせた富井様こそ、フランス料理界に知らぬ者もない、ロブションのコーディネーター!ロブションを育てた方!

    大統領をはじめ、各国の大物でさえ彼とアポをとるのが困難だという、まさに料理界の重鎮だと知った時は正直気後れがしました。
    でも奇跡は起きたのです。ガイドの時にもらった名刺をたよりに連絡が取れた時の信じられない嬉しさ。非常識なこちらの要望を聞いてくださった時の驚きと感激。
    「その気があるなら来なさい。勉強になるよ」
    たしかに勉強になったはずです。包丁の扱い方、いちご1ピースにかけるこだわり、語り尽くせない緻密さ・・・・・・仏料理界NO.1のロブションに漂う空気にふれるだけで大きな勉強になったはずです。
    こうして、千麿にとって最高の修業の時が過ぎ、彼の帰国と時を経て料理研究家の田中愛子先生の門下生として学び、ケータリング事業を始めたわけです。和食の正弁丹吾グループ(頓珍館、ひら川)とはまた違ったN.Yスタイルケータリング・ベストサーブが、富井様との出会いがあったから始まった事業です。


    「10年たったらお礼に行こうね」
    は当然のことで、私達は事前にアポも取らず、お会いできることを祈りながら(お会いできなければ、前のように感謝の気持ちをお伝えすればいい)パリに行きました。そして今度も奇跡は起きました。パリ入り前日リヨン駅からの電話が通じて、私達は面会出来ました。私たちが持参したのは、10年間のケータリングの料理の写真だけです。富井様はその一枚一枚を熱心に見終えると、千麿に笑顔を向けて言われました。
    「成長したね。赤が上手に使えてる。料理には赤が大事だからね。10年よく頑張ったね。これからも頑張んなさい」
    彼のこのひと言に、千麿が心震える程の感動に励まされたことか。これからのさらなる精進を彼の前で、そして自分自身に誓ったことか。
    翌日、富井様は私たちに夕食をご馳走して下さいました。
    お礼に伺った親子が、お礼のお品もなくご馳走になって帰ってくる。
    談笑のうちにも料理における美の極地を無言で教えて下さったひとときでした。
    何も返せない。
    何も受け取ってくださらない。
    こんなご恩返しもあるんだ〜と私は胸がいっぱいになりました。




    ルーブル美術館は以前滞在中に五日間ぐらい通いました
    今回は車からの写真のみ


    マチスの本物の絵が飾られる「来々軒」
    オペラ通りから少し上がったところです
    達筆な富井様の手紙と記念写真を


    ここは日本の芸能人を始め各界多くの方が集うところ
    大好きな石井しげこ様にも逢えて再会に感謝


    「ご恩」なんて言葉が軽く使えない富井様
    20年前のフランスの旅から本当に心の変わらない
    ステキな方
    85才のステップは青年のようでした

    posted by: shobentango | - | 22:58 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
    美味探求ハワイ〜パンケーキ〜
    0
      今、パンケーキ(ホットケーキ)がちょっとしたブームになっています。
      で、私も今回の美味探求のテーマに取り上げて、さっそくオワフ島に行ってきました。
      ホットケーキは昔から私たち日本人にもおなじみで、平べったくきつね色に焼き上がった上に、バターや蜂蜜をのせて食べたのが、進化に進化を重ねて、今では十分厚みもあって、ふわふわ感やトッピングに工夫されたパンケーキが主流です。
      そしてバターや蜂蜜にかわる何と多彩なデコレーション。本場ハワイのホットケーキははたして如何に?
      今はハワイまで飛行機で約7時間。もはや遠い遠い異国の地ではなくなっていると思います。
      ハワイと言えば、多分若い人たちにとっては太陽と海の島、明るいリゾート地の何ものでもないでしょう。
      そして影の部分、つまりパールハーバーも、それ以前の初期移民の悲劇も知らないかも知れません。
      飛行機の窓からただ青いばかりの空と海を見ながら、私は少しばかりこの影の部分に思いをはせてみました。
      新天地を求めて初めてハワイ島に旅立った貧しい移民団の人たち。何日も船に揺られながら、この同じ空と海を見ながら、何を思われたでしょうか。夢と希望であったはずの新天地が見せた苛酷で厳しい現実。地獄の日々。そうして奇跡的に生き抜いてこられた今の日系人の方々。彼らのことを思うと、ホットケーキの美味を求めて飛行機に乗った今回の私は何という違いだろうと思わざるをえませんが、彼らのご苦労は絶対に忘れないよう心して、ハワイで味わったホットケーキについて述べたいと思います。


      随分有名なエッグスンシングスは大阪も心斎橋でみかけます。
      ここはリサーチには入っていませんでしたが、前に一人も待ち客のいない店を見てやっぱり本場も〜と入りました。
      そんなにボリュームも多くない定番の美味しさでした。
      次の日、東海岸のカイルア地域でのシナモンズのパンケーキ(グァバ味)は今までの中で一番美味しかったです。
      ツアーガイドの方とロコモコ一人前、パンケーキ一人前(2枚)で食べきれない量でした。
      友人の吉倉麻利さんが台湾でJamling Cafeをフランチャイズ化されていてそこのパンケーキは大変美味しく、大阪風お好み焼き!!まであり洗練されていました。
      しばらくパンケーキを訪ねる旅は続きそうです。


      ハワイ、東海岸のカイルア〜シナモンズの
      パンケーキ(グァバ味)


      ハワイ、エッグスンシングスのパンケーキ


      台湾、Jamling Caféのフルーツ&アイスの
      パンケーキ


      台湾、Jamling Caféのお好み焼き風パンケーキ

      posted by: shobentango | - | 00:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      美味探求〜奈良の蕎麦玄〜
      0
        奈良町の近くの蕎麦玄に行って参りました。
        奈良町とは、奈良県の中心市街地に位置する歴史的町並みが残る地域の通称だそうです。 奈良町という行政地名はなく、狭い街路に江戸時代以降の町屋が数多く建ち並ぶ。ほぼ全域が元興寺の旧境内にあたる。周辺を含む49.3ヘクタールが奈良市により奈良町都市景観形成地区に指定されているそうです。
        ここ「玄」は春鹿という奈良の名酒の酒蔵の裏で離れのような家を使い、そば会席として25年程前にオープンされたお店だそうです。
        店の中は古い歴史ある佇まいがそば会席の上等感を際立たせている。
        名を言えばご存知の歌舞伎役者の方、各界の著名人がご来店になるという。
        そして宮家の方もご来店になるというから大したお店です。
        商業界の暮部さんのフェイスブックによって知りましたこの店!本日は弊社社長と三人のお席はとても楽しく勉強になりました。
        「麺料理ひら川」でもいつかそば会席にチャレンジさせて頂く日が来るかもしれません。

        長い30年近い商業界での友人暮部さんに感謝しつつ、池田に戻りました。




        更科系の極細の蕎麦!
        タレでなく〜水蕎麦はなかなかのお味


        十割そばで、水、塩、だし(辛味大根)
        この楽しみ方は別格でした!


        蕎麦がきもここまでのフワフワ感!
        本当に今まで頂いた蕎麦がきにはなかったお味!


        全て バカラなど素晴らしい酒器!
        本当によい酒器は酒の格をあげる。
        素晴らしく酒に酔った奈良でした!
        posted by: shobentango | - | 02:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        美味探求〜台湾の旅〜
        0
          奄美大島名物に鶏飯があります。
          みなと屋のこの鶏飯は実に美味しく、全国津々浦々から舌のこえた食客が足を運ばれたことと思います。私もこの鶏飯は40年前からダイビングに行く度に数回頂いたことがあり、その美味しさは今でも鮮明に覚えています。そこでしか出せない味で、他の料理人が同じ食材を使い、レシピ通りに作ってもあの味は決して出せないと私は思っています。他の追随を許さないが故に、奄美伝説のひとつになっているのですが、考えてみるとこれは当然のことかもしれません。同じ食材といっても、私たちはお米を始め、全て命を頂いているのであり、雪の結晶が全て違うように、全く同一の命などというものはないのですから。
          ならば、全く同じ条件のもとで(場所、食材、レシピ)別のシェフが作れば同じ味が出るかというと、どうでしょうか。あるいは全く同じ条件のまま、別の場所で作ればどうでしょうか。空気、気温、湿度が違えば、味も微妙に変わってくるような気がします。
          『美味探求の旅』と称して、その土地で取れる食材をその土地で食べる楽しさを求めて気楽に始めた私でしたが、探求すればするほどに食に奥深さをしらされます。食もまた人の出会いと同じように一期一会です。今頂いた味は一回限りで二度と味わえません。それはまた、CDでは味わえないコンサートでの生の演奏を聴くときと同様、一回限りの真剣勝負の深い感動と喜びがあります。
          かくして私が今回探求におもむいたのは、小籠包のお店です。首都の台北にあり、お店の名物は「小籠包」です。味はごくうす味。あつあつの小籠包をほうばった瞬間、何とも言えないおいしさが口いっぱいに広がり、まさに感激の一瞬でした。遠下はるばる来ただけのことはあったと、さっそく、心の中の美味探求の一ページに刻みつけました。
          千と千尋の神隠しで有名になった九份や十份や故宮博物館にも立ち寄り、首都台北市のかつての日本の都会を思わせる活気あふれる町の雰囲気を味わって帰国したのです。
          帰国して数日後、あの感動もさめやらぬうちに、私はあの小籠包を食する機会を得たのでした。この直営店が日本にもあり、あの感動をもう一度、というわけです。ゴールデンウィーク中は満席で、予約もできません。その日も平日なのに客が列をなす盛況ぶりで、一緒に行った二人の社員とこれくらい待ったって、その価値は十分あるから・・・などと言いながら・・・やっと席につき、瀟洒な店内の意匠に目を奪われ、そうしているうちに「小籠包」が運ばれて来てきました。


          シェフは違っても、同じ食材でレシピも徹底されているはずなのに。あつあつだったのがここではぬるく、味そのものが本場のものとは程遠く、同じ小籠包とは思えませんでした。
          早々に引き上げた私の目に入ったのは、相変わらず店先で待つ客の列の長さでした。
          その列を眺めながら〜

          まだまだ私流美味探求を続けていきたいと思いました。



          二色火鍋
          全く味の違う二つの味が本当に美味しかったです
          頓珍館にも二色鍋はあります
          弊社もまた今までとは違う2色鍋を開発致します


          かにおこわ
          台湾に行けば〜このかにおこわは
          食べて下さいという一品らしいです


          度小月担仔麺(タンツーメン)は百年老舗と呼ばれ
          100年の歴史のあるお店
          今回はテイクアウトでしか食べれなかったこのお店
          次回は店内で頂きたいと思っています


          天津葱抓餅・・・100円ぐらいで食べれる
          このファーストフード!
          作り方(焼き方)がとても面白く〜フワッと仕上がるわけが
          よくわかりました
          posted by: shobentango | - | 22:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          建築家・安藤忠雄氏に学ぶ
          0
            商業界主宰の女性ゼミナールに行って参りました。講師は安藤忠雄先生。そう、マスコミでもおなじみのあのだみ声のすごいおもしろい方です。
            今、この文章を書くにあたって、安藤先生のプロフィールを調べてみると、建築家としての輝かしい業績の数々、きらびやかな受賞歴には正直びっくりしました。そして今、あらためて驚いています。そういった輝かしい功績を全く感じさせない、大阪のおじさんのお人柄に。さらに驚かされたのは、一昨年の夏にすい臓がんが発見され、脾臓と膵臓の全てを摘出する大手術をされました。そんなお身体で、90分もの講演を引き受けてくださったのです。(ちなみに今年75歳になられます)
            『人生100年女性は元気』というテーマで話されたのですが、40、50、60、70代それぞれに夢と希望があれば青春。そう話されている先生ご自身、青春のまっただなか、あなたは今希望がありますか?と問われているようで身の引き締まる思いがしました。先生のこの若々しさ、このすがすがしさはどこからくるのでしょう。
            プロフィールにこう紹介されています。
            ーー木工家具の製作で得た資金を手に、24歳のときから4年間アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジアへ放浪の旅に出る。ヨーロッパからの帰路、彼は何かに導かれるようにインドのベナレスに向かった。
            ガンジス川で牛が泳ぎ、死者が茶毘に付される傍で多くの人が沐浴している。強烈な太陽の下、異様な臭気に包まれた果てしなく続く大地、生と死が一体となり、人間の生がむき出しにされた混 世界に強烈な印象を受け、逃げ出したい気持ちを必死にこらえながら、ガンジス川の岸辺に座りこみ、『生きることはどういうことか』を自問し続けた。人生というものは所詮どちらに転んでも大した違いはない。ならば闘って自分の目指すこと、信じることを貫き通せばいいのだ。
            ――この時の体験が彼にその後の確たる人生観をもたらしているように思えます。人を学歴や肩書きで見ることのない彼は、自身、大学での専門的な建築教育は受けておらず、建築設計事務所などのアルバイト経験と独学で建築士試験に合格されたそうです。だから、超一流になっても、どんなに有名になっても、自分をえらぶることはない。と同時に、どんな人とも対等に接することが出来る。なぜなら、「人生というものは所詮どちらに転んでも大した違いはない」のだから。
            東大の教団で教えている安藤教授の顔が目に浮かびます。きっとこのセミナーと同じ、熱気に包まれていたに違いありません。
            先生の言葉ひとつも聞きのがしてはいけないと、熱心に耳を傾け、とても素直な生徒になれた私たちと同様に、安藤先生の熱のこもった教えを受ける機械に恵まれた東大生たちは、とても幸せだったろうと思います。
            帰り道、私はふと畠山先生のことを思い出しました。
            小学4年の時の担任の先生でした。
            それまで劣等生のレッテルを貼られていた私を、決してそんな目で見ることなく、優等生の生徒と対等に接してくださいました。私は先生が大好きで、一度も学校を休まず、勉強も一生懸命するようになりました。この畠山先生のお蔭で、私は最初の奇跡的な変身を遂げることができたのです。



            このゼミの第二講は、我らが師、西端春枝先生。
            93歳の女性が60分、しっかりと商人道を語られる感動は、
            これからも語り継ぎたいと思っております。


            安藤先生は建築家として日本を代表する方。
            しかしお話は屈託なく、限りなく面白い。


            第28回になる「商業界女性ゼミナール」
            「考えよ! 濃く! 深く!」がテーマでした


            西端春枝先生
            どこまでも優しく!!どこまでも寛容!!
            みんな、この方についてきました


            いつも「受付」
            私はここに立つと第一回目の千里でのゼミナールを思い出します
            もうおよそ30年前のことになります
            posted by: shobentango | - | 04:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            50年前の私に会いたくて
            0
              また、3月11日がやってきました。
              今年は5年目の節目にあたる年で、テレビ、ラジオは一日特別報道番組を流していました。
              日本中の人がやはりあの日のことに思いをはせずにはいられなかったはずです。
              あの惨事を耳にし、信じられない映像をテレビで見たあの日を、みなさんはどう過ごされたでしょうか。私はやっちゃん(従業員のひとりで実家が東北の福島)から実家は無事だったとの連絡を受けた時の安堵と、あの時の彼女の声は今も鮮明に耳に残っています。
              あれから5年こうして今、目を閉じてあの日の事を思い出していると、いつしか記憶の糸は、はるか遠い過去に私をひっぱり、私はそのまま静かに身をまかせていました。
              ………私が二十歳の時でした。義父亡き後の店を継ぐことになった私は無謀にも単身東京行を決行したのでした。東京でいろんな店を見てこよう。それが一番の修行になるんだ。そうひとりで
              決めて、母に無断で夜行列車に飛び乗ったのでした。
              初めて踏んだ東京の土。
              大都会の冷たさに心細く、店を変えての勤務、その一つ上野駅近くにあった「みはし」という甘党の店で働き始めました。東北からの出稼ぎのおばさんたちにまじって、洗い場の中で朝から晩までもくもくと働きました。3時に出された真っ黒焦げの大きなおにぎり。それをまるで家畜に与えるえさのように「たべな」と言ってぞんざいに置いていく女中頭(今は死語ですが)のきつい顔。それでも歯をくいしばって頑張ったあの頃の私が、もしかして私の商い人生の原点になっていたのかもしれない。………そんな思いもあって後年、人にすすめられて書いた半生記(びーだん べったん こめんじゃこ)の中で「みはし」でのことも書いています。その本の中で私はこんなことも書いています。
              「わたしは自分の中の種々な思いを整理し、今、わたしに言えることは何だろうかと考えていた。その時の私は水商売への讃歌を、私なりにうたってみたいと思っていた。
              ………でも、今の私にはそんな気負いはない。当初の気負いが弱まるにつれて、わたしは始めに考えていた事柄から離れて、ずいぶんとりとめのないことを書いてしまったけれど、でもこれは本当のことであり、私にとってはどれもが忘れられない懐かしい想い出である。

              呉服座の芝居小屋。夏の夕暮れに母の手からこぼれてキラキラ光った金箔。東京行きの列車の窓に吹き付けてきた春の夜の甘い風……。そんなひとつひとつが、わたしにとっては宝石のように、いつまでも心の中で輝いている。そんなひとつひとつを、おそらく私にだけしか価値のないことであっても、記憶の糸を投げて過去の人生の一日をたぐり寄せることは、何だか過ぎてしまった時間をもう一度生きることができたかのようで、それはそれで実に楽しく、決して無意味なことではなかったと思う。
              出版当時私は38歳。子供たちもまだ幼く、育児と家事とお店の仕事に、文字通りてんてこ舞いの毎日でした。そんな中でも私の中にはもうひとりの私がいました。立ち止まり、自分をしっかり見つめてみる。この行為は、つき進んでいるときには決して見えない感謝の気持ちをもたらしてくれます。今を生かされている感謝を知れば、たとえそのときだけであっても、人は誤った道へ進むことはできません。私は今、しみじみとそのことを感じます。
              そうして今日、私は再び五十年前の私に立ち戻ってみようと思い、単身東京の上野に行ってきました。もちろんそこには私の脳裏に今もある原風景はありませんでした。
              五十年の歳月がすべてを変えていました。でも私は、「みはし」の前に立ち続けました。「おかげさま」という主語のない感謝の気持ちにひたりながら。私の両目に涙があふれ、喜びと感謝で全身が満たされていくのを感じました。
              それは夜行列車の窓に吹きつけてきた春の夜の甘い風にも似た無常の幸福感でした。
              こうして私は、3、11をきっかけに、20歳の私に会うことができたのです。地震と原発の国に生きている日本人のひとりとして、これからも3,11を「立ち止まる日」にできればいいなと思います。



              全てこの『びーだん べったん こめんじゃこ』から始まりました
              風の画家〜〜中島潔先生の心意気で挿絵を貸して頂けました感動は今も忘れることは
              ありません


              上野公園の真ん前に「みはし」はありました
              自社ビルを建てて独立する前〜20歳の春のことでした



              「みはし」のフルーツあんみつ!
              50年前も同じ〜あんみつ!
              同じ〜おしるこ!
              これを老舗というのでしょう
              50年ぶりの好子さんに会えて涙が溢れました



              上野公園の桜はまもなく満開!
              私がこの前で働いていた頃から50年
              美しい花を〜月日が経つのはなんて早いのでしょうか

              posted by: shobentango | - | 19:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              加賀屋に学ぶ「おもてなしの心」
              0
                冬の能登を旅してきました。
                目的は和倉温泉の加賀屋旅館。108年の伝統を誇る老舗旅館で、今や1000人以上収容できる大旅館としてマスコミにも注目され、世界中から観光客が訪れています。
                私がまず驚いたのは、十二階建ての館内には、実に種々な美術工芸品が展示されていて、まるで美術館にきているかのようでした。
                (例えば、加賀友禅、輪島塗、九谷焼etc)
                なるほど、規模の大きさだけでなく、これならマスコミの目にもとまるどろうと納得しました。
                さて、次なる驚きは自動搬送システムなるもので、ベルトコンベア式に料理が厨房からロボットによって運ばれている姿でした。
                もちろん私は初めて見たわけで、先の美術工芸品の温もりと、この最尖端のハイテクとの取り合わせに、かなり違和感を覚えました。加賀屋旅館といえば、過去30年にわたって、「おもてなしの心」を何よりも重んじてきた旅館として有名だからです。だが、オーナーの話を聞いて、これも納得しました。仲居さんたちにとって料理運びの重労働がどんなに辛いかは私もよくわかります。年齢を重ねて仲居頭になった頃は、腰痛の辛さにやめていかざるをえない。若い娘達は三日と続かない。仲居が次から次に変わるようでは、おもてなしも十分にできるはずはない。そう考えた末に、30年前に4億もの大金をかけてこのシステムを導入したとのことでした。規模を大きくすればこその選択で、創業当初の小規模の旅館のままでいく手もあったはずです。(12室、30名)苦渋の選択を迫られたその時のご苦労話を聞きながら、私にもオーナーの「おもてなしの心」を重んじる心意気が伝わってきました。
                ロボットがハイスピードで運んでくる出来たての料理を、元気ハツラツの仲居さんが各部屋の前で手際よく受け取り、そのままにこやかな笑顔でお客様の前へ。
                これが加賀屋です。



                小田相談役のお話より
                「おもてなしの心  〜加賀屋の流儀〜
                  1. 明治39年9月10日
                     小田奥吉郎「加賀屋」を創業(12室30名収容)
                     本年創業109年
                  2. 日本一はお客様第一主義のサービス
                      ‐亟蕕乃てき  ◆。裡呂噺世錣覆
                      陰日向なく   ぁ仝従譴吠物あり
                     ァー勸を育む   Α‥たり前の事を当たり前に
                     А‥傾颪斑蝋
                  3. 旅館業のミッション・ステイトメント
                      〔斉への活力注入業  ◆|楼莊从冉筏攜果
                      日本文化継承
                  4. 質の高いサービスを提供できる環境づくり
                      ー動搬送システムの導入(S56)
                     ◆ヾ覿汎睚欅蕷燹Εンガルーハウスの建設(S61)
                  5. アンケート調査の徹底(クレーム管理の徹底)
                    年間約2万5千枚の回収<回収率8%>
                        ⇓
                    不満の3P(段取りが悪い、一言多い、ニーズの多様化)
                     ・クレームが起こる理由は自分たちの都合の段取り優先
                     ・一言多い(言い訳)
                     ・ニーズの多様化
                    この答えは、十人十色でよかったが
                    今は一人十色の時代になった
                  6. 能力開発の5力
                    (聞く力、記録する力、考える力、時間力、説得する力)
                  7. 人事の5力
                     募集(採用)、教育(訓練)、労務管理(働いてもらい方)
                     評価(対価)、福利構成(幸せ)
                  8.人材育成
                      USA 研修ツアー
                     ◆TOP教育(個別指導、こころ教育)


                加賀屋はアメリカのリッツカールトンホテルに学ぶ
                   まず、入り口の香り
                   ロビーは図書館(歴史+アカデミック)
                   花いっぱい
                   美しい人がピアノを奏でながら夢の世界へ



                最後にお母様の教えから
                お客様の望むことをやりなさい(これは原理原則)
                十回は部屋に入れと教わった
                 (今はプライバシーの問題で無理なときも)
                総じてベタベタのサービスが基本
                 ,酌も全員にする
                 △出迎えもお見送りも
                 1日向なく、人が見ようが見まいが〜が基本

                    〜36年間日本一を取る加賀屋さんの教えより〜



                彩釉鉢
                人間国宝 徳田八十吉 作
                1933〜2009
                雪月花3階ギャラリー


                天女の舞(輪島塗)
                角 偉三郎 作
                1940〜2005
                能登渚亭1階ラウンジ ”飛天”


                四季の花(加賀友禅)
                梶山 伸
                1908〜1997
                能登渚亭1階〜12階
                吹き抜け


                和倉温泉〜金沢へ
                雨のひがし茶屋街はしっとりと旅人の心を
                包み込んでくれる優しさが・・・
                posted by: shobentango | - | 00:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                文化を守る
                0
                  新年明けましておめでとうございます。
                  今年が皆様にとってよいお年でありますように。
                  今年もたくさんの年賀状を頂き、一枚一枚に友人知人の消息を確かめながら、このスピード化の時代に、このような形式が続いていることをうれしく思いました。
                  なぜなら、経済至上主義が自然を破壊し、多くの動物達を絶滅に至らせてきたように、効率優先の世の中で、貴重な文化が危機に瀕しているからです。
                  例えば文楽もそうですが、今回豊竹嶋大夫さんの舞台の感動は私たちが経験出来なかったかもしれません。
                  大夫は初春大阪国立文楽劇場、2月東京国立劇小劇場での文楽公演をもって引退されました。昭和23年に十代豊竹若大夫師匠(当時、三代豊竹呂大夫)に入門されてから、人生のほとんどを浄瑠璃にささげて捧げてこられたといいます。15歳で文楽の世界に入られ、ふる里は愛媛県、この生まれ故郷も人形浄瑠璃の盛んな土地。入門は後に人間国宝になられた豊竹若大夫。内弟子修行もされ〜若大夫師匠のお稽古は大変厳しく、稽古とはどうゆうものか、ということを叩きこまれたそうです。師匠ご一家と寝食をともにしながら稽古をして頂く、そんな環境だったそうです。
                  嶋大夫師匠は、若大夫師匠に入門し、若大夫師匠がお亡くなりになった後は春子大夫師匠、その後、越路大夫師匠の門下に入られました。
                  平成27年、人間国宝にも認定され、今回の引退の時に嶋大夫さんはこんな言葉を残されています。

                  『振り返ってみても、浄瑠璃を語るのは辛いことばかりでした。それでも浄瑠璃を語ることは大好きでした。心底好きだったのだと思います。文楽は大阪で生まれ、大阪で育った伝統芸能です。これまでの文楽の歴史を見ても、波があるけれども、日本人に一番向いている芸能が義太夫節であり文楽だと、私は自負しているんです。そういう芸能を生んだ土地ですので、これからも文楽をずっと応援していただけると嬉しいと思っています。長い間、本当にありがとうございました』と。

                  これからも多くの方々に愛される文化でありますように。











                  アーツサポート関西さんもたくさんの文化を応援されています
                  ご興味おありの方はご連絡なさって下さいませ
                  posted by: shobentango | - | 00:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  「懐石料理」と「会席料理」
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                    今年は創業85年を越えました正弁丹吾グループにとって変化の年でした。
                    よりリーズナブルで美味しいね!を追求して参りました弊社が、料理を再度原点から学び直す!ということに終始致しました。
                    高良さんという料理の大先輩を迎えて和食〜会席料理を学び直しました。

                    そもそも、「懐の懐石」と「会う会席」の二つは大きく流れが違います。

                    懐石は、日本料理の一種で、本来茶の湯において正式の茶事の際、会の主催者である亭主が来客をもてなす料理をいい、禅寺の古い習慣である懐石にその名を由来する(詳細は歴史の節を参照)。懐石料理とも呼ばれる。懐石を弁当にしたものを点心というようです。

                    又、会席とは宴会や会食で用いられるコース形式の日本料理。連歌や俳句の会席で、本膳料理を簡略化したものと献立に従って、一品ずつ食べていく「喰い切り」のものと、宴会時の配膳方式のものと2種類の傾向があり、いずれも一品料理ではないようです。
                    献立と致しましては、

                    先付(さきづけ) ・・・ 前菜
                    椀物(わんもの) ・・・ 吸い物、煮物
                    向付(むこうづけ) ・・・ 刺身
                    鉢肴(はちざかな) ・・・ 焼き物
                    強肴(しいざかな) ・・・ 炊き合せ等
                    止め肴 ・・・ 原則として酢肴(酢の物)、または和え物
                    食事 ・・・ ご飯・止め椀(味噌汁)・香の物(漬物)
                    水菓子 ・・・果物

                    が一般的です。

                    私達はこの会席料理を一年追求して参りました。
                    忙しい中での勉強でしたが、まだまだ続きます。

                    うれしいご報告が〜
                    料理を評価してくださったある企業様から、仕出し会席料理のリクエストがあり合格致しました。
                    2016年、新しい場所での会席料理のチャレンジが始まります。
                    今年最後に嬉しいご報告と来年も変わらぬご贔屓の程、どうぞよろしくお願い申し上げます。
                    皆様、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。


                    蠕喫枌宛礇哀襦璽
                     代表取締役会長 平川好子


                    12月31日、1月1日、2日、3日、お休みさせて頂きます。
                    新年は4日より通常営業させて頂きます。













                    posted by: shobentango | - | 02:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    琳派の美に魅せられて
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                      緒方光琳と言えば、江戸中期の高名なる絵師として、みなさんもご存知と思います。
                      その卓抜した大胆で華麗な画風は、やがて酒井抱一などに引きつがれて、後に光琳派(略して琳派)と呼ばれる一派を成すに至りました。その琳派三人展(俵屋宗達、緒方光琳、酒井抱一)を京都国立博物館平成知新館で観てきました。
                      館内はたいへんな人の波で光琳が傾倒した宗達の大作『風神雷神図屏風』の前などは身動きも取れない状態でした。宗達が17世紀から始まり、その100年後に光琳、そのまた100年後に、抱一と受け継がれたのです。
                      どんなに時間が経過しようと、人の心をとらえ続ける芸術の偉大さを思いました。本物と真正面で向き合った時に、何か背筋がぴんと立ってくるような緊張感。物言わぬ芸術品が訴えてくる無言の饒舌。これはやはり画集では味わえない感動だろうと思います。よく音楽家が一流のシンフォニーをひとり静かにCDで聴くのもいいけれど、たまにはコンサート会場で生の演奏を聴いて欲しい、と言われるのも分かる気がします。

                      ところで、光琳の弟に乾山という陶芸家がいて、多くの先品を残しています。今回その作品も展示されていたのですが、それらを目にした時、なぜか一つ一つに懐かしい思いがありました。前に出逢ったことがあるような気がするけど、どこでだったかしら・・・と思いをめぐらしていると、思い当たりました。
                      京料理の器によく用いられていたのです。
                      もちろん乾山本人の作品ではありません。乾山流の伝統が脈々と受け継がれていて、今も我々庶民に、京料理の味とともに乾山芸術の美を楽しませてくれていたのです。
                      乾山は京の人。自分の焼物のコピーが、京の町のいたるところで、京料理を引き立ててくれている。彼にとってこんなうれしいことはないでしょう。お店(頓珍館)で話していると、みっちゃん(頓珍館の板前)が「あ、それ僕も持ってる」と言うではないですか。
                      「え、みっちゃん持ってるの?」
                      「はい。乾山でしょう」
                      「あんた、乾山知ってるの?」
                      「はい」
                      「乾山っていいよね」
                      「僕の若い時写真集の3000円は高かったですが・・・買ってました」
                      意外でした。彼には申し訳ないけれど、私は全く知らない彼の料理に対する情熱を見たようで、うれしくもあったのです。
                      ここは京ではないけれど大阪の池田で出す料理の器にも芸術に対する彼の目利きがあれば、きっとそれなりの美が加わってくるはずですから。


                      『美し 乾山 四季彩菜』より










                      posted by: shobentango | - | 23:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |