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風のように去った山ちゃん
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    皆さま、新年明けましておめでとうございます。
    今年も皆さまにとりまして、よき一年でありますように。
    どんなお正月をすごされましたか。それぞれに、いろんないい年越しをされたことと思います。
    私もいつもながらのバタバタした年末年始も過ぎ、やっと日常生活も落ち着いてきて心の中にしまいこんでいた事と率直に向かい合える心境になってきました。
    それは従業員のひとり山ちゃんの死です。
    五年前にOL(保険会社勤務)をやめ、私の店にアルバイトできてくれました。駅前のひら川でひととおりの仕事(調理・接客)を学んだあと、市立池田病院の中に出店している「レストランひらり」で働いてくれることになりました。
    素直で明るく、みんなから「山ちゃん」の愛称で呼ばれるようになった彼女は、ゆっくりですが店の中心メンバーになって頑張ってくれていました。
    ところが、昨年の夏頃に体調が少し悪いと病院で診てもらったところ、肺に癌が見つかりました。(すでに末期)
    約2か月あまりの短い間の10月31日に43歳の若さでこの世を去ってしまったのです。
    あんなに元気だった彼女が?なんで?うそやろ?・・・私たちはみんな、この痛ましい事実を信じられず、とうてい受け入れることが困難でした。まして頓珍館のリニューアルオープン(プレオープン11月3日)を間近に控えて大変なとき。
    私は
    「彼女のことは今は考えない、思わない」
    と自分にもみんなにも言い聞かせ、意気だけは落とすことなく無事にオープンを迎えることができたのでした。
    そして今やっと、心から彼女のことを偲ぶことができるようになった次第です。
    思えばあまりにも短い付き合いの中で、こんなにも多くの思いを残してくれた人もいません。一期一会の人生を本当に自覚して毎日を生きているのか。ともすれば多忙に押し流されてしまいがちな私に、彼女の死はこの最も大切な人生訓を再確認させてくれました。
    ご主人と退職の挨拶に来てくれたときも
    「お店が大変な時に私が倒れてしまって、本当に申し訳ありません」
    お通夜の席で彼女のご主人から、
    「お店が大変な今、自分が退職して本当に申し訳ない。と最後まで言っていました」
    私は返す言葉がありませんでした。風邪などで休養している人ならともかく、
    死を目前にした人の言える言葉でしょうか。(しかも彼女は正社員でもなくアルバイトでした)
    山ちゃんが私に与えてくれていた大きな安心感を改めて思い知らされました。あの人に任せておけば大丈夫。
    もう少し時間があれば、という無念さと一方では、こんなにもあっけなくこの世を去った彼女の人生に、何か一陣の風のような清らかさを感じます。
    いつか雑誌である牧師さんのこんな文章を目にしたことがあります。
    「地獄の底から這い上がってきた聖者よりも、カナリアのように清らかに生きて、清らかに死んだ聖者の方が私は好きだ」
    山ちゃんは聖女などではありません。家計を助けるために明るく一生懸命働いているごく普通の女性でした。でも今、私の心に彼女の心がカナリアのように美しく蘇るのです。短い生涯の最後の日々を私の店で働いてくれてありがとう。
    もう少しだけ生きていてくれたら新しい「とんちんかん」もひと目見ることができたのに。
    そんなこんなを、もう一回会って話をしてみたいなぁ!山ちゃん。



    恒例の慰安旅行出発!
    いつもここ 池田市役所前からバスが出ます


    昨年は若者の希望が多かった「ながしまスパーガーデン」
    ここから若者組と私たち温泉組に別れます
    最前列に山ちゃんが・・・


    アトラクションのジェットコースターなどが
    後ろに見えるところで記念の集合写真!


    美味しかった近江牛!
    おいしいおいしいと食べていた
    山ちゃんの声が聞こえます
    posted by: shobentango | - | 01:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    33年目の奇跡
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      前回、”とんちんかん“のリニューアルオープンのことを書きましたが、ひとつの出来事から種々な人間ドラマが生まれるものだとつくづく感じます。
      なかでも印象的だったのは真理ちゃんからのメールでした。私のフェイスブックがほんの偶然から目に止まったらしく、
      「おばちゃん、フェイスブックで”とんちんかん”のこと見たよ。おばちゃんがフェイスブックしてるなんて夢にも思わなかったけれど。明日友達の結婚式で大阪に行きます。その時必ず会いに行きますね」
      彼女こそ誰あろう、頓珍館、33年前のオープン時の上得意さまだった健太郎くんの娘です。
      「こんな偶然、お父さんの仕業としか思えへん」
      「おばちゃん見つけた時、驚きと感動で手が震えたわ」
      14年ぶりに会った、真理ちゃんはそう言って涙ぐんでいました。
      この友人健太郎くんのことは、以前本にも書いてますから、少し長くなりますが引用してみます。


      健太郎は「筋萎縮症」という難病を煩って、この先の人生を、人の手を借りずに生活することができない。彼は中学校の同級生で、これまで私の店をずっと引き立ててくれた友達だった。昭和45年に「たんご」をオープンしたときは、豊中市役所に勤め出したばかりの彼が、同僚をたくさん連れてきて、閑古鳥の鳴いていた淋しい店をどんちゃん騒ぎでもり立ててくれた。「シーホース」のときもそうで、オープン早々の時期はいつも健太郎と彼の仲間がどやどやおしかけてきて店を賑わせてくれた。そして、お店がどうにか軌道に乗り始めると、もうこれで大丈夫だとでもいうように、いつしか彼の姿が遠のいていく。健太郎はそんな友達だった。
       中学生の頃からやんちゃだった彼は、喧嘩っ早く、大酒を飲んではヤクザと喧嘩して奥さんを心配させた。一度など、したたかに酔った彼が、ふらつく足で店にきたかと思うと、前歯を見事に全部折っていて私たちをびっくりさせた。とりわけ今も語り草になっているのは、健太郎の結婚式だ。新郎のくせに、彼はお酒をあびるように飲んで、ぐでんぐでんに酔っ払ってしまった。そしてとうとう雛壇の彼は、椅子もろとも後ろにバタンとひっくり返って何度仲間がおこしても、また後ろにひっくり返る。披露宴の席で新郎のこんな醜態を見たのは誰もがおそらく始めてだったに違いなく、記念のスナップ写真にも新郎の姿はほとんど写っていなかった。後でふり返って懐かしむすべもなく、新郎の健太郎はなんと新婦に淋しい思いをさせた事だろう。
       やることなすことハチャメチャで、市役所でも「桂春団冶」の異名をとっていたらしいが、反面彼はシャイで、お酒の飲み方もきれいだった。ええとこのぼんぼんなのに、昔飲めなかったサントリーの角瓶が彼の美学で、いつもカウンターに角瓶を置き、なんとも言えない表情で飲んでいた。
       難病でそれもできなくなった彼は、ときおり電話してきて私に言った。
      「店はどないや? みんな元気で頑張っとるか?・・・・・・行きたいのう・・・・・・」
      「何言うてんの? いつでも迎えに行くって、そう言うてるやろ。行くから迎えにこい、くらいのこと言うてや」
       私がそう言うと、彼はいくぶん困ったような口調で言った。
      「小便に困るんや。尿瓶もっていったら、お前とってくれるか? 俺なぁ、他のヤツはいややねん・・・・・・」
      「あんたそんなことで悩んでたん? アホやなぁ・・・・・・」
      私は元気なときの彼のシャイな顔が浮かんで、泣きたいような気持ちになった。
       それから数日後、車椅子の健太郎をお店に迎えて、彼は久しぶりにサロンの夜を楽しんでくれた。ショータイムで歌う多香ちゃんの姿を眩しそうに眺めながら、なつかそそうに水割りを飲んだ。グラスを持つのが精一杯で、側で何かと気を使っている育ちゃんに、
      「お前もええ女になったのう。昔はなぐったろかと思うくらい、生意気なヤツやったのにのう」
       と口は達者だ。カウンターの隅っこでマミちゃんが目を潤ませて彼を見ている。健太郎が健康だった頃、マミちゃんは自転車で倒れた拍子に顔にアザをつけ、外れた顎をガクガクさせながら店に入ってきたことがあった。びっくりした健太郎は、いきなり大声で言った。
      「どこのどいつや? お前にこんなことしたんは! おっちゃんがぶん殴ってやる! 誰や? 言うてみ!」
       マミちゃんが、「違う違う」と身ぶり手ぶりで答えるのを、彼はもどかしそうに、増々いきり立って言った。
      「若い娘に手を上げるヤツなんか、オレは許さへんぞ! どこのどいつにやられたんや? おっちゃんに言え!!」
       マミちゃんの外れた顎が元どおりに戻り、やっと口がきけるようになって、
      「健太郎さん、そんなにびっくりせんといて下さい。こけたり顎が外れたりするのん、しょっちゅうですねん」
       と笑って言うと、健太郎は拍子抜けしたように、
      「顎が外れるて、お前、大丈夫かぁ! いっぺん病院で診てもろた方がええのと違うか?」
       と心配して言ったものだ。そんな健太郎がもはや仕返しに行くどころか、水割りのグラスもろくに持てない体になっている。マミちゃんにとってもそれは悲しすぎることだった。
       しばらくして、私は段差のあるトイレではなく、入口の一枚目と二枚目のドアの間にもうけた特別のトイレに、車椅子の彼を連れて行った。
      「ママ、僕らがするから」
       と一緒に来ていた幼なじみのひとりが言ったとき、健太郎が口を挟んだ。
      「オレはママにとってもらう。同級生の女にとってもろたら、ええ思い出になるやろう!」
       そう言って友達を下がらせ、私たちは狭い特設トイレで二人だけになった。
      「お前、ティッシュもってきたか?」
      「男のあんたに何でそんなもんいるのん?」
      「オレやない。お前の手につくやろが」
      「手なんかあとで洗う。余計なこと心配せんと、はよしいや」
       私は彼の体を支えながら尿瓶をあてがった。
      「悪いのう、お前・・・・・・」
      「何言うてんの!」
      「お前は、ほんまにええおなごやのう・・・・・・」
      「・・・・・・・・・」
       ほんの少量のおしっこが尿瓶に流れ、また止まって、また少し流れる。その悲しさに胸がつまったが、そのとき私は、二人とも生まれたまんまの姿でこの空間につつまれているような気がした。男も女もなく、排泄という自然の営みに不浄さなど微塵も感じられない、何か突き抜けたような空間。私はこんな清らかな空間を与えてくれた健太郎に心の中で手を合わせた。
       トイレから出ると、彼は一変して口が悪くなり、中学の頃の私のことを吹聴しだした。
      「俺がサッカー部で、こいつが陸上部やねん。同じグランドで練習してると、こいつの黒い短パンから白いパンツがチラッと見えるんや。それが刺激的でなぁ。オレが残念なんは、こいつと一回もやれへんかったことや」
       つまりこれが健太郎流の私に対するお礼の言葉だった。
      「ナニワ女の商いの道〜商売なめたらあかんで〜」2001年講談社刊より引用



      33年前にこの「頓珍館」をオープンした時に、心配して店をもりたててくれた彼が、今度のリニューアルオープンでは、自分の代わりに娘を寄こしてくれたのでしょうか。その前にはこんなこともありました。

      今から十六年前に「麺料理ひら川」をオープンした時、わざわざ御祝いを届けてくれました。死が迫っていた健太郎君本人は、病状の悪化で来れませんでした。
      もう食べることも出来ず、点滴の毎日だと聞いた私は、ある日長男(元社長の千人)と健太郎くんを尋ねました。食べれなくても、せめて匂いだけでも。そう思って材料を持参し、台所を借りて長男と二人、心をこめて店自慢の自家製のうどんと本手打ちの蕎麦を作り、病床の彼に差し出しました。すると、どうでしょう。彼がベッドから身体を起こし(もちろん奥さんの手を借りて)食べてくれたのです。呆気に取られている彼の子供たちの見ている前で、さらに一口、そしてもう一口、じっと噛みしめるように。目線が長男に向いた時、
      「うまいのう」
      と無言の言葉を言ってくれているのが私にはわかりました。それから彼をかこんで同じうどんを食べている奥さんと二人の子供たちをなごやかに見回してから、最後に私を見てささやくようにこう言いました。
      「おおきに」
      台所でさんざん涙を流してしまった私のことをちゃんと知っていたのです。

      健太郎君が息をひきとったその日の朝、真理ちゃんのウエディングドレスが彼の家に届きました。最愛の娘の晴れ姿を見ることもなく、あの世に行ってしまった健太郎くん。

      あまりに悲しく、彼の無念さは私の心に今も残ります。

      「それにしても不思議ですねぇ」
      と彼女は、リニューアルしたばかりの”とんちんかん”を見て言いました。
      「あのフェイスブックに目が止まらなかったら、このタイミングに来ることもなかったんですから、これは絶対に父のさしがねに違いない」
      と。
      「そうやねぇ。リニューアルしてほんまにやっていけるのか、心配でしょうがないんやろう。だから自分ではこれんから、娘の真理ちゃんを見にこさせてくれたんやね」
      「でも考えてみたら、これまでのおばちゃんに会ったことってそんなにないよね。でも全然そんな気がしない」
      「わたしたちも同じなんよ。健太郎くんがひょっこり顔を見せてくれるのは、オープンとか何かがあったときだけ。あとは2年3年まるで梨の礫」
      「だから不思議なんよねぇ。私達は本当に池田中学校の同級生というだけなのにね」
      夜も更けて、私はこうして人の縁はその人の死後も形を変えて続いていくんだと、しみじみ感じました。


      さて古い想い出にふけっているうちに、今年も数日を残すばかりになりました。
      私のブログを読んで下さったみなさま、この一年ほんとうにありがとうございました。
      このご縁を大事にしながら、また来年も頑張っていきますのでよろしくお願い致します。
      では皆さま、よいお年をお迎え下さいませ。
      来年も本年同様ご贔屓賜りますようお願い申し上げます



      ****************************************
       年末は30日まで通常営業させて頂きます
       新年は4日より通常営業させて頂きます
       新生「とんちんかん」の定休日は月曜日となります
           池田市役所すぐ東うら
            池田市城南1-2-3 (072-751-0870)
      ****************************************


      毎年恒例のお年玉セールは
      「とんちんかん」リニューアルオープン記念イベント第二弾
      1月4日〜2月28日まで15%オフとさせて頂きます









      これは娘さんからお借りした写真ですが
      どこまでもはちゃめちゃ・・・
      戦後生まれの懐かしい男性像です



      もう歩けなくなった筋萎縮症の健太郎
      同級生の中で他人の私にどこまでも優しかった
      そんな男性はいなかった。私の無二の親友です



      同じ顔をした息子さんと
      どんなに苦労しても
      「お酒を飲まない時の彼は本当に優しくて
      いい人なんですよ」
      と言い切る奥様
      看護婦の一番上のライセンスをもつキャリアでもあります



      お父さん亡き後、この一家に孫の男の子と女の子が増えました
      目を細めて優しく見守る健太郎の顔が浮かびます
      posted by: shobentango | - | 23:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      とんちんかんリニューアルオープン
      0
        このたび「頓珍館」が33年の歴史に幕を閉じ、新生「とんちんかん」となってリニューアルオープン致しました。
        昭和58年オープンして33年、文字通り頓珍漢なハプニングを重ねながら、いろんな想い出を作ることができました。
        私の同級生で、筋萎縮症という難病を患っていた健太郎君(50代で亡くなった)が初めてお店に来てくれた時の喜びと感激。その彼が車椅子の生活に入って以来ずっと私の心に"車椅子の人にも来て頂けるお店に"の思いがあり、70歳を機にやっと導入する決心がつきました。ところが、工事をすすめていくとガス管と水道管、配電までがたつきがきており、いっそのこと新たに改築してはどうか、とのこと。考えに考えた末に、これが私の最後の大仕事になるだろうと思い、思い切って決断したのでした。
        人間の命に終わりがあるように、「頓珍館」にも終わりがあってもいいのではないか。そんな思いもありましたが、「頓珍館」で汗を流す私たちにも、心から楽しんで下さるお客様にも、それぞれに秘かな世代交代を繰り返しながら今があることを思えば、それは生みの母の傲慢な考えでした。
        あの「池田村字たんぼの横の頓珍館」が、私たちの精一杯のおもてなしの温もりで血の通いあうお店になり、皆さんに愛され続けてきたのは、わずか30年少々にすぎませんが、少しは伝統の風格も備え始めてきたのです。このあと、どんな歴史を刻んでいくかは、あとに続く人たちの仕事です。
        私としては最後に健太郎君のような障害をもった人にも気安く喜んでいただけるような店作りを完成させること。それは私の初心でもあるお店にかけた"ひとつまみの愛"やさしさと温もりの心を形に変えての表現、1日中「頓珍館」にもかかわりをもったすべての人たちへの御礼です。
        そして先日、新生"とんちんかん"のリニューアルオープンセールのひとつとして、11月5日から15日までの10日間行ないました。ご飲食代全て半額にさせて頂いたところ、連日超満員の大盛況。正直こんな大盛況は後にも先にも初めてでした。もちろん50%オフの大サービスも初めてのことでしたけれど。
        さあ、16日からが本当の勝負です。サービスが値段だけでなく、心のサービスができているかどうか、真価の問われるときです。
        商売という実に手ごわい仕事に立ち向かう若い人たちへの思いを、ひとつの形にできた私は、これまで培ってきた、いわば"正弁丹吾流商御伝法"というトンチンカンの空気の中で、思い切りはばたいてくれることを祈ります。


        33年前にオープン致しました「とんちんかん」
        今年11月に2度目の改装をさせて頂きました
        30年以上のご贔屓様も多く、アドバイスもたくさん
        頂けることと思います


        「一座建立」の社訓のごとく
        皆が力を合わせて、一つのことをやり遂げる!
        これからもよろしくお願い申し上げます


        店内の半分のスペースが椅子席に。
        車椅子の方も気楽に来て頂けるようになりました


        沢山のお花を頂戴致しました
        新しいお店がうれしそうでした
        これからお返しの時代に入ります
        posted by: shobentango | - | 02:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        秋の風にさそわれて
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          白川郷に行ってきました。
          白川郷は荘白川(しょうしらかわ)ともいい、現在は岐阜県白川村と高山市荘川町に分かれているそうです。
          また、稲作に不向きな土地柄で養蚕とともに発達した家内工業の一つで、その発展にあわせて大型化、多様化していったそうです。
          合掌造りが世界遺産へ登録後は、保全のために大規模な補修や屋根の葺き替えを30年〜40年に一度行う必要があるそうで、多くの人手と時間を要する大掛かりなものであり、住民総出で行われた。住民たちは近隣で「組」(くみ)と呼ばれる互助の組織を形成し、その単位を土台として「結」(ゆい)を行なう。屋根の葺き替えにおいて重要な「結」は、鎌倉時代にこの地に根付いたとされる浄土真宗の信仰に起源を持つものである。屋根は原則として一日で葺き替えた。これは降雨を警戒したからとか、春先に行われることが多く、農作業との兼ね合いで復数日にわたって村人たちの協力を仰ぐことが難しかったなどと説明されている。加須良集落に関しては住民が少なかったため復数日にわけられていたそうです。
          相当な人たちがここ白川郷に来られているようで、私は今回神田家の中をゆっくり見せて頂きました。
          こんな工法でよく家が建つものだと。
          この家のおばあさんの面白く、しっかりとした案内もすごいものがありました。
          3時間の自由時間、狭くて広い郷の中をゆっくり散策しました。
          ふと気になる酒屋さんで好物の「にごり酒」と「どぶろく」を買い、帰路につきました。



          にごり酒とは一般的に「白濁した日本酒」のことで、日本酒造りの工程のひとつに「上槽」と呼ばれる醪(もろみ)を固体の部分(=酒粕)と液体の部分(=原酒)にわける作業があります。アルコール発酵によってできた醪を酒袋などに入れて圧力をかけて搾っていくのですが、ここで目の粗い酒袋を使うことで醪の中の溶けきれていない米の固体部分が原酒の中に残ります。これが白濁のもとになるそうです。

          どぶろく(濁酒、濁醪)とは、発酵させただけの白く濁った酒。十二六(どぶろく)と書いたり、もろみ酒、濁り酒(にごりざけ)ともいう。炊いた米に米こうじや酒粕に残る酵母などを加えて発酵させることによって造られる、日本酒の(清酒)の原型といわれています。



          日本昔ばなしに出てきそうな
          この白川郷の写真がどれだけの人の
          郷愁を誘うことでしょう


          神田家の急な階段を上り、上り、一番上まで
          昇りました
          ここにまだ人が三世代で住んでいる
          夢のようです


          このマップにあるのが現在の家の数!!
          昔は2000余りの家があったそうです


          この酒屋さんで、にごり酒やどぶろくを
          数種類買ってきました
          にごり酒はやっぱり美味しく、私は大好きです
          posted by: shobentango | - | 23:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          おわら風の盆
          0
            久しい念願だった「おわら風の盆」を見てきました。
            10日過ぎた今も、目をとじればあの裏切りに満ちた越中おわら節の旋律がきこえ、哀しいまでに美しかった優雅な女踊りが瞼に浮かんできます。
            風の盆恋歌などで一躍有名になったこのお祭りには、人口わずか2万人ほどの山間にある静かな八尾の町に、毎年30万人もの観光客が訪れるそうです。
            そんなにも賑わう町の、年に一度の祭りながら、あの静けさは何だったのでしょう。
            ずっと昔、私は盒脅さんの小説「風の盆恋歌」を読んで以来、一度はこの目で風の盆を見てこようと思い続けてきました。もちろん若かった私は悲しい筋書きのストーリーに心から感動したのですが、それだけならこんなに長く「風の盆」が私の心の底に残っていたでしょうか。そして今、私なりにその謎がわかりかけてきたように思います。
            町流しといって、坂の多い通りを各町の踊り手たちが、哀愁を帯びた胡弓の音色とともに、おわらを踊りながら練り歩いていきます。
            色っぽく艶やかな女踊り、勇壮な男踊り、そして躍り手たちが輪を作って踊る輪踊り。
            私は幸運にも、東町ー西町ー今町ー下新町ー天満町ー福島・・・と行く先々でそれぞれ各支部のおわら踊りを見ることができました。息をつめて見つめている私の胸の中に、静かな感動が広がっていきました。恋愛小説の背景に流れていた風の盆の胡弓の調べこそが、私をついにここまでこさせた原点だったことに気がついたのです。
            この悲しいまでに人の心をえぐる胡弓の調べこそ、人間の心そのものではないか。土着の人達が生きていく人生のつらさ。失恋のつらさも肉親をなくしたつらさも、憎しみも苦しみも悲しみも、訴えるすべもない厳しい現実の生活を強いられてきた人たちが一年に一度だけ、この祭りの日に、町々を踊り歩きながら、すべての思いを捨てていく。そして新しく再生するのです。そんな思いでみていると、私には踊り手たちひとりひとりに、そしてそれを見ている観衆たちひとりひとりに、同じ心をもった人間としての親近感を覚え、ともに人間であることの喜び悲しみのいりまじった感情があふれて、つい涙ぐんでしまいました。そして、本当に来てよかった。それも若いころではなく、今になってきてよかった、とそう思いました。
            こんなに大きな感動をもらった「おわら風の盆」のすべての人たちに私の感謝を伝えたい。
            あのお澄み切った胡弓の調べに、心からの愛を添えて。――



            この地図にありますように全ての地域で
            それぞれの時間に踊ります


            これは「町家で観る」という交通公社の
            ツアーなるものがあり、家の前に椅子が
            並びそこで踊ってくれます
            私はこっそり横で立見!!を。


            町の各支部でどこを廻るのか〜
            どこで出会うのか〜
            わからない夜の祭りです
            町中がひとつのステージといえます


            町をまわっていますと神社なども
            ステージになっているところもあり・・・
            ライトアップされきれいに踊りが見えます

            posted by: shobentango | - | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            奇妙なご恩がえし・・・フランスの旅
            0
              今年でケータリング十周年の節目を迎えました。私の三男の千麿が始めた事業で、私たち親子の間でその時から秘かに決めていたことがありました。10年経ったら富井様にお礼に行こうね、と。
              そして先日、フランスのパリを訪ねました。
              富井様ことトミーは純粋な日本人で今年で85歳になられますが、今も矍鑠としたお姿で、ジョエル・ロブションというフランス料理最高峰の店のテレビ番組のコーディネーターとしても活躍しておられます。
              そんなお方を私たちが何故にお訪ねしたかというと、話は20年前にさかのぼります。
              千麿がまだ中学生だったころ、ORA主催の研修旅行に参加したことがありました。たまには旅行もできる余裕が私にもやっと出来た頃だったと思います。その年の旅先はフランスで観光をかねて色々なフランス料理の店を見てきたのですが、そのときのツアーガイドをして下さったのが富井様だったのです。
              出会い早々、並のガイドではないことは誰の目にもわかりました。単に観光ガイドに博学だっただけでなく、たとえば老舗のパン屋の前を通るときなど、ここのパンは塩の産地が悪いとか、バターの分量はどうのこうのと、そのあまりの詳しさに私達はあっけにとられっぱなしでした。そしてとうとうツアー最後のレストランに入った時、彼は、
              「あなたたちはいやしくも外食産業の人間でしょう。そのあなた達がこんな店を選ぶなんて最低だ。私はここで一緒の食事はお断りします!私は帰ります!」
              と憤慨のあまり、さっさと帰ってしまわれました。
              何と変わったガイドだろう。中にはその単刀直入の言動に不快感をもった者もいたようですが、私は彼の感性の鋭さにとても興味を感じていたので、夜な夜なフランス料理のお話やハーブのお話や、フランスの歴史について、旅の間すっかり仲良しになりました。今回のガイドのお礼にと花を家に届けて帰国致しました。
              それから数年後、千麿の京都外大卒業後の修行先の店を選ぶときになって、突然富井様が私たちの前に舞い降りてくださったのです。そう、天上界から舞い降りてくださったとしか言いようがありません。ガイドの時はその片鱗も見せず、ただ変なおじさんと思わせた富井様こそ、フランス料理界に知らぬ者もない、ロブションのコーディネーター!ロブションを育てた方!

              大統領をはじめ、各国の大物でさえ彼とアポをとるのが困難だという、まさに料理界の重鎮だと知った時は正直気後れがしました。
              でも奇跡は起きたのです。ガイドの時にもらった名刺をたよりに連絡が取れた時の信じられない嬉しさ。非常識なこちらの要望を聞いてくださった時の驚きと感激。
              「その気があるなら来なさい。勉強になるよ」
              たしかに勉強になったはずです。包丁の扱い方、いちご1ピースにかけるこだわり、語り尽くせない緻密さ・・・・・・仏料理界NO.1のロブションに漂う空気にふれるだけで大きな勉強になったはずです。
              こうして、千麿にとって最高の修業の時が過ぎ、彼の帰国と時を経て料理研究家の田中愛子先生の門下生として学び、ケータリング事業を始めたわけです。和食の正弁丹吾グループ(頓珍館、ひら川)とはまた違ったN.Yスタイルケータリング・ベストサーブが、富井様との出会いがあったから始まった事業です。


              「10年たったらお礼に行こうね」
              は当然のことで、私達は事前にアポも取らず、お会いできることを祈りながら(お会いできなければ、前のように感謝の気持ちをお伝えすればいい)パリに行きました。そして今度も奇跡は起きました。パリ入り前日リヨン駅からの電話が通じて、私達は面会出来ました。私たちが持参したのは、10年間のケータリングの料理の写真だけです。富井様はその一枚一枚を熱心に見終えると、千麿に笑顔を向けて言われました。
              「成長したね。赤が上手に使えてる。料理には赤が大事だからね。10年よく頑張ったね。これからも頑張んなさい」
              彼のこのひと言に、千麿が心震える程の感動に励まされたことか。これからのさらなる精進を彼の前で、そして自分自身に誓ったことか。
              翌日、富井様は私たちに夕食をご馳走して下さいました。
              お礼に伺った親子が、お礼のお品もなくご馳走になって帰ってくる。
              談笑のうちにも料理における美の極地を無言で教えて下さったひとときでした。
              何も返せない。
              何も受け取ってくださらない。
              こんなご恩返しもあるんだ〜と私は胸がいっぱいになりました。




              ルーブル美術館は以前滞在中に五日間ぐらい通いました
              今回は車からの写真のみ


              マチスの本物の絵が飾られる「来々軒」
              オペラ通りから少し上がったところです
              達筆な富井様の手紙と記念写真を


              ここは日本の芸能人を始め各界多くの方が集うところ
              大好きな石井しげこ様にも逢えて再会に感謝


              「ご恩」なんて言葉が軽く使えない富井様
              20年前のフランスの旅から本当に心の変わらない
              ステキな方
              85才のステップは青年のようでした

              posted by: shobentango | - | 22:58 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
              美味探求ハワイ〜パンケーキ〜
              0
                今、パンケーキ(ホットケーキ)がちょっとしたブームになっています。
                で、私も今回の美味探求のテーマに取り上げて、さっそくオワフ島に行ってきました。
                ホットケーキは昔から私たち日本人にもおなじみで、平べったくきつね色に焼き上がった上に、バターや蜂蜜をのせて食べたのが、進化に進化を重ねて、今では十分厚みもあって、ふわふわ感やトッピングに工夫されたパンケーキが主流です。
                そしてバターや蜂蜜にかわる何と多彩なデコレーション。本場ハワイのホットケーキははたして如何に?
                今はハワイまで飛行機で約7時間。もはや遠い遠い異国の地ではなくなっていると思います。
                ハワイと言えば、多分若い人たちにとっては太陽と海の島、明るいリゾート地の何ものでもないでしょう。
                そして影の部分、つまりパールハーバーも、それ以前の初期移民の悲劇も知らないかも知れません。
                飛行機の窓からただ青いばかりの空と海を見ながら、私は少しばかりこの影の部分に思いをはせてみました。
                新天地を求めて初めてハワイ島に旅立った貧しい移民団の人たち。何日も船に揺られながら、この同じ空と海を見ながら、何を思われたでしょうか。夢と希望であったはずの新天地が見せた苛酷で厳しい現実。地獄の日々。そうして奇跡的に生き抜いてこられた今の日系人の方々。彼らのことを思うと、ホットケーキの美味を求めて飛行機に乗った今回の私は何という違いだろうと思わざるをえませんが、彼らのご苦労は絶対に忘れないよう心して、ハワイで味わったホットケーキについて述べたいと思います。


                随分有名なエッグスンシングスは大阪も心斎橋でみかけます。
                ここはリサーチには入っていませんでしたが、前に一人も待ち客のいない店を見てやっぱり本場も〜と入りました。
                そんなにボリュームも多くない定番の美味しさでした。
                次の日、東海岸のカイルア地域でのシナモンズのパンケーキ(グァバ味)は今までの中で一番美味しかったです。
                ツアーガイドの方とロコモコ一人前、パンケーキ一人前(2枚)で食べきれない量でした。
                友人の吉倉麻利さんが台湾でJamling Cafeをフランチャイズ化されていてそこのパンケーキは大変美味しく、大阪風お好み焼き!!まであり洗練されていました。
                しばらくパンケーキを訪ねる旅は続きそうです。


                ハワイ、東海岸のカイルア〜シナモンズの
                パンケーキ(グァバ味)


                ハワイ、エッグスンシングスのパンケーキ


                台湾、Jamling Caféのフルーツ&アイスの
                パンケーキ


                台湾、Jamling Caféのお好み焼き風パンケーキ

                posted by: shobentango | - | 00:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                美味探求〜奈良の蕎麦玄〜
                0
                  奈良町の近くの蕎麦玄に行って参りました。
                  奈良町とは、奈良県の中心市街地に位置する歴史的町並みが残る地域の通称だそうです。 奈良町という行政地名はなく、狭い街路に江戸時代以降の町屋が数多く建ち並ぶ。ほぼ全域が元興寺の旧境内にあたる。周辺を含む49.3ヘクタールが奈良市により奈良町都市景観形成地区に指定されているそうです。
                  ここ「玄」は春鹿という奈良の名酒の酒蔵の裏で離れのような家を使い、そば会席として25年程前にオープンされたお店だそうです。
                  店の中は古い歴史ある佇まいがそば会席の上等感を際立たせている。
                  名を言えばご存知の歌舞伎役者の方、各界の著名人がご来店になるという。
                  そして宮家の方もご来店になるというから大したお店です。
                  商業界の暮部さんのフェイスブックによって知りましたこの店!本日は弊社社長と三人のお席はとても楽しく勉強になりました。
                  「麺料理ひら川」でもいつかそば会席にチャレンジさせて頂く日が来るかもしれません。

                  長い30年近い商業界での友人暮部さんに感謝しつつ、池田に戻りました。




                  更科系の極細の蕎麦!
                  タレでなく〜水蕎麦はなかなかのお味


                  十割そばで、水、塩、だし(辛味大根)
                  この楽しみ方は別格でした!


                  蕎麦がきもここまでのフワフワ感!
                  本当に今まで頂いた蕎麦がきにはなかったお味!


                  全て バカラなど素晴らしい酒器!
                  本当によい酒器は酒の格をあげる。
                  素晴らしく酒に酔った奈良でした!
                  posted by: shobentango | - | 02:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  美味探求〜台湾の旅〜
                  0
                    奄美大島名物に鶏飯があります。
                    みなと屋のこの鶏飯は実に美味しく、全国津々浦々から舌のこえた食客が足を運ばれたことと思います。私もこの鶏飯は40年前からダイビングに行く度に数回頂いたことがあり、その美味しさは今でも鮮明に覚えています。そこでしか出せない味で、他の料理人が同じ食材を使い、レシピ通りに作ってもあの味は決して出せないと私は思っています。他の追随を許さないが故に、奄美伝説のひとつになっているのですが、考えてみるとこれは当然のことかもしれません。同じ食材といっても、私たちはお米を始め、全て命を頂いているのであり、雪の結晶が全て違うように、全く同一の命などというものはないのですから。
                    ならば、全く同じ条件のもとで(場所、食材、レシピ)別のシェフが作れば同じ味が出るかというと、どうでしょうか。あるいは全く同じ条件のまま、別の場所で作ればどうでしょうか。空気、気温、湿度が違えば、味も微妙に変わってくるような気がします。
                    『美味探求の旅』と称して、その土地で取れる食材をその土地で食べる楽しさを求めて気楽に始めた私でしたが、探求すればするほどに食に奥深さをしらされます。食もまた人の出会いと同じように一期一会です。今頂いた味は一回限りで二度と味わえません。それはまた、CDでは味わえないコンサートでの生の演奏を聴くときと同様、一回限りの真剣勝負の深い感動と喜びがあります。
                    かくして私が今回探求におもむいたのは、小籠包のお店です。首都の台北にあり、お店の名物は「小籠包」です。味はごくうす味。あつあつの小籠包をほうばった瞬間、何とも言えないおいしさが口いっぱいに広がり、まさに感激の一瞬でした。遠下はるばる来ただけのことはあったと、さっそく、心の中の美味探求の一ページに刻みつけました。
                    千と千尋の神隠しで有名になった九份や十份や故宮博物館にも立ち寄り、首都台北市のかつての日本の都会を思わせる活気あふれる町の雰囲気を味わって帰国したのです。
                    帰国して数日後、あの感動もさめやらぬうちに、私はあの小籠包を食する機会を得たのでした。この直営店が日本にもあり、あの感動をもう一度、というわけです。ゴールデンウィーク中は満席で、予約もできません。その日も平日なのに客が列をなす盛況ぶりで、一緒に行った二人の社員とこれくらい待ったって、その価値は十分あるから・・・などと言いながら・・・やっと席につき、瀟洒な店内の意匠に目を奪われ、そうしているうちに「小籠包」が運ばれて来てきました。


                    シェフは違っても、同じ食材でレシピも徹底されているはずなのに。あつあつだったのがここではぬるく、味そのものが本場のものとは程遠く、同じ小籠包とは思えませんでした。
                    早々に引き上げた私の目に入ったのは、相変わらず店先で待つ客の列の長さでした。
                    その列を眺めながら〜

                    まだまだ私流美味探求を続けていきたいと思いました。



                    二色火鍋
                    全く味の違う二つの味が本当に美味しかったです
                    頓珍館にも二色鍋はあります
                    弊社もまた今までとは違う2色鍋を開発致します


                    かにおこわ
                    台湾に行けば〜このかにおこわは
                    食べて下さいという一品らしいです


                    度小月担仔麺(タンツーメン)は百年老舗と呼ばれ
                    100年の歴史のあるお店
                    今回はテイクアウトでしか食べれなかったこのお店
                    次回は店内で頂きたいと思っています


                    天津葱抓餅・・・100円ぐらいで食べれる
                    このファーストフード!
                    作り方(焼き方)がとても面白く〜フワッと仕上がるわけが
                    よくわかりました
                    posted by: shobentango | - | 22:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    建築家・安藤忠雄氏に学ぶ
                    0
                      商業界主宰の女性ゼミナールに行って参りました。講師は安藤忠雄先生。そう、マスコミでもおなじみのあのだみ声のすごいおもしろい方です。
                      今、この文章を書くにあたって、安藤先生のプロフィールを調べてみると、建築家としての輝かしい業績の数々、きらびやかな受賞歴には正直びっくりしました。そして今、あらためて驚いています。そういった輝かしい功績を全く感じさせない、大阪のおじさんのお人柄に。さらに驚かされたのは、一昨年の夏にすい臓がんが発見され、脾臓と膵臓の全てを摘出する大手術をされました。そんなお身体で、90分もの講演を引き受けてくださったのです。(ちなみに今年75歳になられます)
                      『人生100年女性は元気』というテーマで話されたのですが、40、50、60、70代それぞれに夢と希望があれば青春。そう話されている先生ご自身、青春のまっただなか、あなたは今希望がありますか?と問われているようで身の引き締まる思いがしました。先生のこの若々しさ、このすがすがしさはどこからくるのでしょう。
                      プロフィールにこう紹介されています。
                      ーー木工家具の製作で得た資金を手に、24歳のときから4年間アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジアへ放浪の旅に出る。ヨーロッパからの帰路、彼は何かに導かれるようにインドのベナレスに向かった。
                      ガンジス川で牛が泳ぎ、死者が茶毘に付される傍で多くの人が沐浴している。強烈な太陽の下、異様な臭気に包まれた果てしなく続く大地、生と死が一体となり、人間の生がむき出しにされた混 世界に強烈な印象を受け、逃げ出したい気持ちを必死にこらえながら、ガンジス川の岸辺に座りこみ、『生きることはどういうことか』を自問し続けた。人生というものは所詮どちらに転んでも大した違いはない。ならば闘って自分の目指すこと、信じることを貫き通せばいいのだ。
                      ――この時の体験が彼にその後の確たる人生観をもたらしているように思えます。人を学歴や肩書きで見ることのない彼は、自身、大学での専門的な建築教育は受けておらず、建築設計事務所などのアルバイト経験と独学で建築士試験に合格されたそうです。だから、超一流になっても、どんなに有名になっても、自分をえらぶることはない。と同時に、どんな人とも対等に接することが出来る。なぜなら、「人生というものは所詮どちらに転んでも大した違いはない」のだから。
                      東大の教団で教えている安藤教授の顔が目に浮かびます。きっとこのセミナーと同じ、熱気に包まれていたに違いありません。
                      先生の言葉ひとつも聞きのがしてはいけないと、熱心に耳を傾け、とても素直な生徒になれた私たちと同様に、安藤先生の熱のこもった教えを受ける機械に恵まれた東大生たちは、とても幸せだったろうと思います。
                      帰り道、私はふと畠山先生のことを思い出しました。
                      小学4年の時の担任の先生でした。
                      それまで劣等生のレッテルを貼られていた私を、決してそんな目で見ることなく、優等生の生徒と対等に接してくださいました。私は先生が大好きで、一度も学校を休まず、勉強も一生懸命するようになりました。この畠山先生のお蔭で、私は最初の奇跡的な変身を遂げることができたのです。



                      このゼミの第二講は、我らが師、西端春枝先生。
                      93歳の女性が60分、しっかりと商人道を語られる感動は、
                      これからも語り継ぎたいと思っております。


                      安藤先生は建築家として日本を代表する方。
                      しかしお話は屈託なく、限りなく面白い。


                      第28回になる「商業界女性ゼミナール」
                      「考えよ! 濃く! 深く!」がテーマでした


                      西端春枝先生
                      どこまでも優しく!!どこまでも寛容!!
                      みんな、この方についてきました


                      いつも「受付」
                      私はここに立つと第一回目の千里でのゼミナールを思い出します
                      もうおよそ30年前のことになります
                      posted by: shobentango | - | 04:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |